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2014年8月11日月曜日

現実と課題 [展示をふりかえって 11]

 「ロックの詩人 志村正彦展」が終了して一ヶ月が経ちます。これまで展示について10回ほどふりかえってきました。(各々の回にテーマを設けたり、ナンバーを付けかえたりして、題名を少し変更させていただきました)

 この「ふりかえり」を書いた理由は、今後、志村正彦、フジファブリック、あるいはその他のアーティストに対して、何らかの活動をする方々のために、少しでも参考になればという想いからでした。

 人は経験を通して学ぶことができます。今回の試みから学んだことを、様々な問題点を含めて、伝えていくことが必要だと考えました。現実的な制約、予算上の問題、権利上の配慮などについても、簡潔ではありますが、記しました。それらは、読みようによっては、言い訳めいたものに感じられたかもしれませんが、それは私たちの本意ではなく、事実や課題を明らかにすることが大切だという判断をしました。

 この公式webをご覧になっている方は、このような「ふりかえり」よりも、客観的な「報告」、展示資料の紹介や写真の掲載を求められているかもしれません。しかし、すでに書きましたように、『若者のすべて』草稿をはじめ、展示室内の限定公開という性格上、詳細に記すことは控えました。

 この機会に、今回の組織について説明します。「ロックの詩人 志村正彦展」の実行委員会は、非営利の自発的組織でした。私と妻が中心となり、私たちの家族や友人たちの支援と協力を得て、組織しました。企画・資料選択と構成・解説執筆は、代表の私がほぼ一人で担当しました。(したがって、これらに関する全責任は代表の私にあります)原稿については、妻の助言や校閲も経て完成させました。パネル作成、展示室での飾り付け、当日の運営については、家族や友人、仲間たちが中心となりました。

 これまで「展示」についてふりかえってきました。まだ、フォーラムのふりかえりやアンケートの報告が残っていますが、このあたりで、一か月ほど休載期間をいただいて、その後再開したいと思います。
 誠に 申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

                            「ロックの詩人 志村正彦展」 実行委員会 代表   小林一之

2014年8月10日日曜日

展示室2のアルバム [展示をふりかえって 10]

展示室2入口、壁面は『若者のすべて』草稿解説パネル

『若者のすべて』草稿関連ケース、『志村正彦全詩集』

雑誌展示パネル、ゆかりの品展示ケース

黒のハット(ポスター写真で被っていた帽子)、『FABBOXⅡ』等

ケーブルケース、雑誌追悼号

「Live at 富士五湖文化センター」 ポスター

シングル『LIFE』 ポスター

メッセージ・アンケート用コーナー

2014年8月9日土曜日

『若者のすべて』草稿について [展示をふりかえって 9]

 「ロックの詩人 志村正彦展」の中で最も貴重な展示資料は、『若者のすべて』草稿ノートでした。この資料の存在を知り、その本文を読んだ時から、この草稿を中心に、「ロックの詩人」としての志村正彦を展示するという計画が動き出しました。

 この『若者のすべて』草稿と完成作品を比較検討すると、志村正彦の創作過程が浮かび上がってきます。簡潔にまとめると、次の4点になります。(展示パネルで公開した文を要約したものです)

1.「最後の花火」とそれに関連するモチーフが全くない。
2.時間の設定が異なる。草稿は「七月の今日」、完成作は「真夏のピークが去った」頃である。
3.サビ「ないかな ないかな きっとね いないよな」から始まる構成であり、サビ自体にも違いがある。
4.その他完成作と異なる、いくつかの表現やモチーフがある。

 この草稿はすでにある言葉の水準に達していて、『若者のすべて』完成作につながる世界を充分に表現していました。
 草稿というと未完成、未熟なものという消極的、否定的評価もありますが、企画担当者は幾つかの観点から、この草稿の価値を高く評価しました。

・この草稿はある詩的世界を形成していて、独自の価値を持っている。それゆえに、志村正彦の評価を貶めるようなものでは全くないこと。
・完成作は、草稿の表現内容をさらに高度な水準に変化させている。志村正彦は歌詞を何度も書き直したことが知られているが、その推敲過程を、実際の資料で検証できるものとして、第1級の資料価値があること。
・志村正彦が大切に保管していたと思われる資料群の中から発見された手書きの資料であり、本人もかなりの愛着を持っていた資料だと推測されること。
・ワープロで作詞することが多い時代において、自筆の資料が遺されていこと自体がある意味で奇蹟であること。

 以上のような観点から、この草稿を公開することが、志村正彦という「ロックの詩人」の理解を深めるために重要であると考えました。

 しかし、草稿を公開するために、「著作者人格権」上の「公表権」にどう対応するのかという課題が生じます。「公表権」を簡潔に説明すると、未公表の著作物を発表・公開する権利のことで、著作者人格権により、著作者本人のみが所有するものです。問題は、著作者が亡くなった場合です。死後遺された作品を誰がどのような権利で公表できるのかという問題が生じます。現在、著作者没後の場合、著作者人格権についても、著作権の継承者である家族が一定の範囲内でその権利も継承するというのが国際的に合理的な考え方のようです。

 今回は、そのために、志村正彦氏のご家族に、この草稿の公開の意図と展示方法の概要を説明したところ、今回の展示室内で来場者が閲覧する形に限定して、公開することを承諾していただきました。ご家族の愛情と深慮に満ちた適切なご判断だと思われました。(この場をお借りして、あらためて深く感謝を申し上げます。)そのような経緯から、展示室での撮影は(その他の資料も含めて)禁止とさせていただきました。

 展示についてどのような方法がいいのか、最後の最後まで悩みました。本来なら、この草稿ノートのみを展示すればいいのですが、場所と期間を限定した公開であり、閲覧自体もそれほど時間をかけられないことから、企画担当者側からの「ひとつの仮説」を提示し、パネルをある程度の数用意することで、草稿に向き合う視点のひとつを提供し、みなさまの鑑賞や議論の土台となればいいと考えました。
 当初は数倍書いた説明文を削りに削り、できるだけ簡潔に分かりやすく記述することに心がけました。草稿関連の展示パネルがようやく完成したのは前日のことでした。
 以上のような経緯と考え方により、展示室2での『若者のすべて』草稿関連の展示があのような形となりました。

 アンケートなどを読む限り、『若者のすべて』草稿の展示については肯定的評価がほとんどでした。ご覧になった方々の反応は何よりも、このような草稿が遺されていたことに対する「驚き」という一点に集約されます。そして、志村正彦の創作過程の具体的姿に触れることができ、歌詞を読み直す契機となったという感想も多く寄せられました。企画担当者としては、草稿展示の意図を理解していただいたようで、有り難く思いました。

 『若者のすべて』草稿は、あの展示室で閲覧していただいた方の「記憶」の中にのみ存在しています。上記の経緯から、この公式web上でもこの草稿本文の公開はできません。そのような事情をどうかご理解ください。(当然ですが、企画展担当者も例外ではありません。個人としてもあの草稿の本文に言及することは一切ありません)

 これはあくまで企画担当者の個人的意見ですが、『若者のすべて』草稿が公開されるとしたら、信頼できる出版社から信頼できる書物によって公刊する形で公開されることが望ましいと考えます。その上で、志村正彦の聴き手が各々自由に、この草稿を読み、この草稿について考える時が訪れることを願っています。

2014年8月8日金曜日

二つの記事と写真、メッセージとアンケート [展示をふりかえって 8]

 展示室2では、壁面の4分の1ほどのスペースを使って、『音楽と人』に掲載されたインタビュー記事四つ[樋口靖幸氏が志村正彦を取材した記事(2005年12月号、2008年2月号、2009年6月号)と金澤・加藤・山内の3氏を取材した記事(2010年8月号)]と、『H』2006年3月号の記事(母校吉田高校で取材したもの)の計五つの雑誌記事をそのままB2ポスターケースに入れて展示しました。

 特に、『音楽と人』2005年12月号と2010年8月号の二つの記事は共に富士吉田での取材に基づいて書かれています。二つとも、忠霊塔へと上る階段の同じ位置で撮影された写真が掲載されています。2005年12月号では志村正彦1人が、2010年8月号では金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎の3人が、あの階段で佇んでいます。背後には富士吉田の街が広がっています。
 この二つの記事の間、2009年12月に志村正彦は急逝しました。

 死は、人々の哀しみや嘆きを超えて、時に、現実を顕わにします。とても辛くなる、ある意味では残酷で悲劇的な2枚の写真です。企画担当者としては、この2枚の写真がフジファブリックの10年の現実を静かに物語っていると考え、ためらう気持ちもありましたが、御批判も覚悟の上で展示することに決めました。

 展示室2の最後には、「志村正彦へのメッセージ」(志村家に贈るもの)と「志村正彦展アンケート」の2点を書いていただくコーナーを設置しました。来場された方の内かなりの方が時間をかけて丁寧に書いてくださいました。お一人が長い時間かけていらっしゃるので席がたりなくなり、途中で増やしましたが、あきらめてお帰りになったり外でお書きになったりした方もいたようで、申し訳ありません。

 「志村正彦へのメッセージ」は志村さんのご家族にお渡ししました。みなさんの心のこもった言葉はきっと志村正彦さんに届いているだろうと思います。
 「志村正彦展アンケート」の数は400枚以上となり、実行委員で一つひとつ読ませていただいています。本当にありがとうございました。多くの方が長文でお書きくださったので、少しお時間をいただきますが、今後アンケートについてもご紹介していきたいと考えています。

2014年8月3日日曜日

展示室2の構成 [展示をふりかえって 7]

 今回から、「展示とフォーラムをふりかえって」は展示室2に移ります。

 展示室2では、当初、展示室1のⅠ部「志村正彦クロニクル」に引き続いて、 Ⅱ部「ロックの詩人」、Ⅲ部 「フジファブリックの10年」という構成を考えました。しかし、展示室での作業時間の制約(12日の午前の3時間しか確保できませんでした)や展示ケースの数(会場で借りられるケースは残り1つでしたので、結局、ケースを1つ購入することになりました。予算的にはこれが限界でした)などの物理的要因で、当初の予定からかなり変更することを余儀なくされました。

 色々とシミュレーションした結果、「ロックの詩人」の展示資料については、『若者のすべて』草稿ノートを中心に、『志村正彦全詩集』『若者のすべて』の楽譜等を展示ケース内に置き、壁面の解説パネルを充実させて、補足的な説明を行うことにしました。(『若者のすべて』草稿の展示意図については、項目を独立させて書く予定です)

 「フジファブリックの10年」の展示については、Ⅰ部「志村正彦クロニクル」を継続する形で、
 11.  (志村正彦)没後の反響・出来事  [2010-2014]
というコーナーを作り、志村正彦愛用の黒いハット(今回のポスターの写真で被っているもの)、ライブで使っていたケーブルを入れたアルミケース、『Talking Rock!』等の志村追悼特集号、『FAB BOX』、『SINGLES 2004-2009』、『FAB BOXⅡ』等の没後リリース作品、モテキ関連のパンフレットなどを縦長の展示ケースに陳列しました。最も最近の動向を伝えるものとして、4月13日の『Live at 富士五湖文化センター』上映會のポスターも展示しました。

 次のコーナーでは、
  12.   2010~2014年  【3人編成のフジファブリック】
という展示パネルを作り、金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎の3人編成のフジファブリックの最新作『LIFE』のポスターを壁面に飾りました。(2010年以降のフジファブリックのCD、DVD等も用意していたのですが、展示ケースが足りないという物理的理由により叶いませんでした)
 本当に少ないスペースで申し訳ありませんでしたが、現在のフジファブリックについても何らかの形で展示したいと当初から考えていました。

2014年8月2日土曜日

展示室1のアルバム [展示をふりかえって 6]

展示室1へと並ぶ列(1日目)


入口すぐの壁面(志村正彦略歴とポスターの元写真)

展示室1中央(1日目)

赤池宏己先生による肖像画・他

柴宮夏希さんによる1stCD原画案・他

2009年の写真・パネル

幼少期の資料

志村正彦在籍時フジファブリックの全作品と彼の著書等


愛用のギター(高校時代に購入したレスポール他)
会場で飾られた花