tag:blogger.com,1999:blog-71812078487816806432023-11-17T02:37:26.455+09:00ロックの詩人 志村正彦展 web 「ロックの詩人 志村正彦展」(2014.7.12-13)は、1100人を超える来場者に恵まれ、終了しました。ご来場いただいた方、ご協力いただいた方に感謝を申し上げます。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.comBlogger49125tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-85153872444432905712015-06-14T17:01:00.000+09:002015-06-15T07:35:35.788+09:00このwebの今後 山梨県甲府市で2014年7月12,13日に開催された「ロックの詩人 志村正彦展」から、一年近くの歳月が経ちました。昨年の6月9日に開設されたこのwebは2年目に入ることになります。<br />
このところ、今年の計画についてのメールでのお問い合わせが続きましたので、この場でもお知らせいたします。<br />
<br />
私たち「ロックの詩人 志村正彦展」実行委員会が主催する志村正彦展やフォーラムの予定はございません。<br />
<br />
お問い合わせいただいた方々をはじめ、ご期待にそえず申し訳ありません。(私たち以外の企画については分かりませんが、あるとすれば何らかの告知があるかと思われます)<br />
<br />
これまで24回にわたり、展示とフォーラムについてのふりかえりを掲載してきました。これからは、たくさんの方々に書いていただいたアンケートについて少しずつ文字に起こしていきたいと考えております。(7月中旬から始める予定です)<br />
ほんとうに「スロー」な掲載ですが、ご理解賜りますようお願いいたします。<br />
<br />
先日、鈴木亮介さん(志村正彦展フォーラム発表者)から当日の写真を御提供いただきました。この場で感謝を申し上げると共に、掲載させていただきます。<br />
13日のフォーラムと展示会場のものですが、あの日のあの場の雰囲気がよく伝わってきます。<br />
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhv-v3ToKczam3zHCy0yhXVbDAiAnbywv5i0b6vqa5OjreYzpO4qpRAidKZp1szsl5wGFjppb1JkXZVSc2h8abxfMYk13URTg-be6YjPKpk752My7qKW9nwAvbxOY7RY00NyikQmSGSLS4/s1600/sm30.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="212" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhv-v3ToKczam3zHCy0yhXVbDAiAnbywv5i0b6vqa5OjreYzpO4qpRAidKZp1szsl5wGFjppb1JkXZVSc2h8abxfMYk13URTg-be6YjPKpk752My7qKW9nwAvbxOY7RY00NyikQmSGSLS4/s320/sm30.JPG" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">フォーラム会場。樋口寛子さんのお話を二百人の参加者が熱心に聴講されていました。<br />
<br />
</td></tr>
</tbody></table>
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjARdqUhgECCKYM6quvzrrJfPIl7duWt8A8_IfECCKC7lnhme1e2UmCLQTGHcmyy4b5cPQBLOkVRYpiuE1CJrBNse-CNsDRQesXgQw-MeM1iOC__ziwRtwG3Ma-AS4hZKkX9Xl9NHt1vbs/s1600/sm05.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="133" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjARdqUhgECCKYM6quvzrrJfPIl7duWt8A8_IfECCKC7lnhme1e2UmCLQTGHcmyy4b5cPQBLOkVRYpiuE1CJrBNse-CNsDRQesXgQw-MeM1iOC__ziwRtwG3Ma-AS4hZKkX9Xl9NHt1vbs/s200/sm05.JPG" width="200" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">展示室1入口。待ち時間が長くなり、ご迷惑をおかけしました。</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgIOEJPuIOeF_majlJorQ8pSDGnGKhIAS_sZVEZhriEKdjP7eQ-q6W-INTkmmlrQC3iDO9YMhQ8T4Ib2KBpFMt7Q5NnQVRkLhZsYli7LJosOHVMPWd7UZRW67OzZMC-Ucle9QoE2bEnO0w/s1600/sm19.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="133" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgIOEJPuIOeF_majlJorQ8pSDGnGKhIAS_sZVEZhriEKdjP7eQ-q6W-INTkmmlrQC3iDO9YMhQ8T4Ib2KBpFMt7Q5NnQVRkLhZsYli7LJosOHVMPWd7UZRW67OzZMC-Ucle9QoE2bEnO0w/s200/sm19.JPG" width="200" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">展示室2。中央テーブルでアンケートを書いていただきました。</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<br />
<br />
今後は、インターネットという場で、このwebを通じて、志村正彦の存在と彼を愛する人々の言葉を現在と未来に伝えていく活動を進めていきます。<br />
<br />
私たちは非力であり、スローな活動になりますが、これからもよろしくお願い申し上げます。<br />
<br />
<br />
「ロックの詩人 志村正彦展」(2014.7.12-13)実行委員会<br />
<br />
志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-4990483979810713212015-03-29T10:18:00.000+09:002015-03-29T10:30:21.346+09:00フォーラムの閉会 [フォーラムをふりかえって 13] フォーラムの最後に実行委員長からのご挨拶がありました。<br />
<br />
<strong><span style="color: #3d85c6;">皆様今日はありがとうございました。<br /> 全国からご来場いただき、また展示を見るために長時間、2時間くらい待っていただいた方もいると思うんですが、ありがとうございます。<br /> なにより今日のこの展示・フォーラムは志村さんのご両親、ご家族の全面的な支援によって行うことができました。心から感謝しております。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #3d85c6;"></span></strong><br />
<strong><span style="color: #3d85c6;"> 一言だけ言いたいのですが、僕は志村さんの作品は百年後に残ると思っています。百年後、日本語の歌を振り返った時に志村正彦、フジファブリックの名前が出てくると。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #3d85c6;"></span></strong><br />
<strong><span style="color: #3d85c6;"> 僕らがこんなつたない展示や活動をしなくても、絶対残るとは思うんですが、それでも、どう残るかという問題はあると思います。ここにいらした熱心な方々を含めて、どうやって残していくか。それにはやはり語り合うのはとてもいいことだと思うんです。みなさんブログとかtwitterとかいろいろなことばがあって、僕も結構読ませていただいていますが、これからもいろいろなことばで彼の作品を語っていくことが大事だと思います。そのためのフォーラムで、この活動が少しでもそのためになればいいと思っています。<br /> 今日は本当にありがとうございました。</span></strong><br />
<br />
参加者のみなさんにアンケートのお願いをし、受付でささやかなプレゼントとして今回の「ロックの詩人 志村正彦展」のB2版ポスターをお渡ししてフォーラムはお開きになりました。<br />
<br />
お話しをしてくださった方々、コメントを寄せてくださった方々、会場からご発言いただいた方々、みなさんが志村正彦さんと彼の歌を大切に思う気持ちが伝わり、会場も一体となって笑ったり涙したり、とても心温まるフォーラムとなりました。<br />
志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-7129929724303786682015-03-22T09:17:00.003+09:002015-03-22T09:21:14.599+09:00フォーラム参加者のご発言 6 [フォーラムをふりかえって 12] フォーラム参加者のご発言の最後に、富士吉田の男性の方がお話ししてくださいました。<br />
<br />
<br />
<strong><span style="color: #3d85c6;">私は志村正彦君のお父さんとご近所の知り合いで、正彦君と言うより「まーちゃん」ということでおつきあいさせていただいていました。フジファブリックという名前がいろいろなところに載っているのを見かけるようになって、「ああ、これはあのまーちゃんかな」と思っていました。家内はまーちゃんが小さい頃抱っこしたこともあって、今となっては稀有な経験だったと思っています。この会場には抱っこした方はいらっしゃらないと思うので。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #3d85c6;"></span></strong><br />
<strong><span style="color: #3d85c6;"> 仕事場が志村家の菩提寺のそばにありまして、数年前はあの辺りで困った風なお嬢さんを見かけて、正彦君の眠っているところへ何人かご案内したり、「お花屋さんがありませんか」と尋ねられて、代わりにお供えするお花を買ってきてあげたというようなこともありました。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #3d85c6;"></span></strong><br />
<strong><span style="color: #3d85c6;"> 歌詞のことですが、私もものを作る仕事をしておりますので、なぜああいう歌詞が生まれたかと言いますと、正彦君が生まれて育まれた環境だと思うんです。何かを作るということには環境ということに左右されると思うんですよ。先ほど富士吉田市がろくでもないというお話しがありましたが、これから歌詞が生まれてきた環境について研究して、機会がありましたら先ほどの方とお話ししてみたいと思います。</span></strong><br />
<br />
<br />
幼い日の志村正彦さんをご存じの方からの温かいことばで、会場は何度も笑いが起きていました。「富士吉田はろくでもない」と発言した高校生は頭をかきながら、会が終わった後、楽しそうにお話しなさっていました。<br />
<br />
まだお話ししたい方もいらしたかもしれませんが、あっという間に予定の時間が過ぎ、参加者からのご発言は以上で終わらせていただきました。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-7772724499860643302015-02-08T09:38:00.000+09:002015-02-08T09:59:17.615+09:00フォーラム参加者のご発言 5 [フォーラムをふりかえって 11] 次に発言された女性の方からは、音楽業界で仕事をなさっている樋口寛子さんと鈴木亮介さんに「志村さんが奥田民生さんに影響を受けてバンドマンになったように、今年10周年を迎えるフジファブリックの影響を受けて、新しくバンドが生まれたりメジャーデビューしたりしているのか。フジファブリックが音楽業界に与えた影響について、言える範囲で教えてほしい」という主旨のご質問がありました。<br />
先に樋口さんからお答えをいただきました。<br />
<br />
<strong><span style="color: #0b5394;">日々ブッキングを担当していて、若いミュージシャンと会うことが多いのですが、フジファブリック、志村君に影響を受けたという人たちはとても多いと思います。ロフト、私ということもあるのかもしれませんが、コミュニケーションの入り口として、「僕も、私もフジファブリックが好きで」と始まることが増えたなという印象があります。世代としては特に23~26才くらいの人たちが多いですね。</span></strong><strong><span style="color: #0b5394;">例えば、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、KANA–BOON、特にボーカルの谷口君はフジファブリックが好きで、そこから一気に交流が始まったということがあります。他にもそのような人たちはいますね。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> 私達の世代にとってスピッツの草野正宗さんや奥田民生さんが好きで、憧れであったように、今の若い世代のバンドにとってフジファブリック、志村君は完全にそういう存在になっていると感じます。</span></strong><br />
<br />
次に鈴木さんからお話しをいただきました。<br />
<br />
<span style="color: #0b5394;"><strong>大きな流れで言うと、今、音楽業界が下火だとかCDが売れないとかいうこととも関連していると思いますが、商業的にはフェスというのがとても大きな機軸になっているんですね。そうなるとアゲアゲ、ノリノリの曲ばかりやっているようなバンドが支持されて、それが一つの正解という風潮があります。だから音楽を目指す人たちも、ちょっと検索して、こういう風にすれば売れるんだということになって、ワンパターンでバリエーションがなくなっている。そういうところでは、フジファブリックを目指しているとか影響を受けているというのはちょっとずれている感じがあります。<br /> 一方で、今、ライブハウスがとても面白いんです。今はセルフプロデュースができてしまうので、自分たちで音源をインターネット上に公開したりして、メジャーで売れることだけが音楽的な成功ではないと思う人たちも出てきている。何百万人に支持されるというわけではないけれど、一定のファンがいて、ライブをすればライブハウスがいっぱいになるというようなバンドが増えてきていると思います。その中にはほんとうにいろいろなバリエーションがあります。そういうところでは、キーボードが入ったり疾走感があったりというフジファブリックを、真似するというのではないのですが、目指している人たちは増えてきているのかなと感じます。</strong></span><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"></span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> </span></strong><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> </strong></span><span style="color: black;">樋口さんと鈴木さんのご発言から、フジファブリックが若い世代にとって「憧れ」の存在であり、「目指す」べきバンドでもあることが伝わってきました。</span><br />
<br />志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-91288987651810384562015-01-31T10:01:00.001+09:002015-01-31T10:25:08.603+09:00フォーラム参加者のご発言 4 [フォーラムをふりかえって 10] 好きな志村正彦さんの曲の話を終えてから、再び自由にご発言いただきました。 <br />
先ほど「星降る夜になったら」が好きと答えてくださった方があらためてお話ししてくださいました。<br />
<br />
<br />
<span style="color: #3d85c6;"><strong>今日は発言するつもりはなかったのですが、先ほど思いがけずお話しすることになったので、思い切ってもう少しお話しさせていただきます。</strong></span><br />
<span style="color: #3d85c6;"><strong> 私は東京で小学校の教員をしています。実は志村さんを知ったのは志村さんが亡くなった時でした。もともとは奥田民生さんが好きで、2009年にユニコーンが復活して、その頃ずっと聴いていました。志村さんの訃報に接した時、奥田民生さんに影響を受けたと書いてあって、興味を持って、初めて「銀河」を聴いた時にものすごい衝撃を受けました。こんなすごい曲を作った人が亡くなってしまったんだと思ったら、それまで関わりがなかったのに自分でもおかしいと感じながらも、大きな喪失感がありました。今日は昔からのファンの方とか地元の方とかそういう方ばかりかなと思っていましたが、先ほどからお話しをうかがっているといろいろな方がいらっしゃるとわかって安心しました。<br /> 私は志村さんの曲はほんとうに素晴らしいと思っているので、何気なく伝えたいと思い、実は去年の運動会でリレーの時に「Sugar!!</strong></span><span style="color: #3d85c6;"><strong>」を流したり、行進のはじめの時に「星降る夜になったら」をかけたりしました。そのことに特に反応はなかったんですが、練習の時、けがで出られない男の子が出だしのところで急に踊り出しました。純粋無垢な子供たちに伝わるのだから、これは本当にすごいのだなと思いました。これからもみなさんに教えていただきながら、自分なりに地道に普及活動をしていきたいと思います。</strong></span><br />
<br />
「地道に普及活動」というところで、少し笑いが起きました。会場の皆さんに中にも志村さんの曲をもっと多くの人に聴いてほしいと「普及活動」をなさっている方がたくさんいらっしゃったのかもしれません。<br />
次にお話ししてくださったのは若い男性の方でした。<br />
<br />
<span style="color: #3d85c6;"><strong>皆さん、ちょっと冷静になって考えてもらいたいんですけど、「U.F.Oの軌道に沿ってあなたと逃避行」ってどういう事ですか?こんなふうに、すべての曲と言っていいほど、志村さんが書く歌詞はわけがわからなくて、だからこそ僕たちは「これはどういう事だろう」と考えさせられます。<br /> さっき展示を見させてもらったんですけど、その中に「歌詞の中の自分に現実の自分を合わせていっている」ということばがあって、なるほどと思ったんです。歌詞の中の自分を別の現実の自分の視点から書いているって、曲に対するストイックさがすごいなって思いました。 <br /> 僕は音楽をやっていて、作詞作曲もやっていますが、今の曲って、こんな事を言っては何ですが、アイドルの曲などを聴いているとどれも同じに聞こえてしまいます。その点、フジファブリックの曲は、志村さんの曲も今のフジファブリックの曲もそうですが、特別な、絶対聴いたことのないメロディーや歌詞で、僕の心に沁みるというか、直接入ってきます。僕もそんな歌詞を考えていきたいと思って、今日は展示や皆さんのお話から、そのヒントをいろいろ学ぶことができました。ありがとうございました。</strong></span><br />
<br />
冒頭の質問には会場から大きな笑いがおきました。自分で作詞作曲をなさる方からの曲作りという視点でのお話が興味深いものでした。<br />
<br />志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-32082156679377564582015-01-22T22:50:00.004+09:002015-01-22T22:50:58.547+09:00フォーラム参加者のご発言 3 [フォーラムをふりかえって 9] 参加者のご発言がいったん途切れたところで、皆様に「志村さんの楽曲で一番好きなのは?」というファンには難しい質問をしてみました。<br />
「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」「茜色の夕日」「若者のすべて」「虹」などシングルとなった代表曲を中心に曲名をあげて手をあげていただきました。それぞれたくさんの手があがりました。<br />
<br />
最後に、今まであげた中に「私の一番は入っていないという方」に挙手をしていただくと、数名いらっしゃいました。 その中のお一人に「では、何が一番お好きですか」という質問をしたところ、突然の質問に驚かれながらも、お話ししてくださいました。<br />
<br />
<span style="background-color: white; color: #0b5394;"><strong>私は悩んでいたんですけど、「星降る夜になったら」がすごく好きです。というのは、志村さんが前向きに、前に進もうと思っているように感じるからです。出だしの躍動感あふれるようなリズムとか、私自身も前向きになれるような気がします。</strong></span><br />
<span style="background-color: white; color: #0b5394;"><strong> 月曜日に仕事に行きたくないなと思うような時でも、朝からあの曲を聴いていると「よしこのリズムで駅まで歩いていこう」という気になれます。</strong></span><br />
<br />
もう一人、同じ質問に手をあげてお答えくださいました。<br />
<br />
<span style="color: #0b5394;"><strong>私は「セレナーデ」を選びました。「明日は君にとって 幸せでありますように そしてそれをぼ僕に 分けてくれ」というところがとても好きで、一番好きな曲です。</strong></span><br />
<br />
思いがけずという形になったかもしれませんが、お話していただいてありがとうございました。<br />
今回はお二人でしたが、皆様お一人お一人に大切な一曲があり、その理由や好きになった物語があるのだろうと感じることができました。<br />
志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-63462014022119766702014-12-28T21:50:00.001+09:002014-12-30T10:19:57.216+09:00フォーラム参加者のご発言 2 [フォーラムをふりかえって 8] 次に会場の男性から、「志村正彦 表現の特徴と世界観」を発表していただいた前嶋愛子さんに、一番好きな曲は何ですかというご質問がありました。<br />
前嶋さんからは次のようなお答えがありました。<br />
<br />
<strong><span style="color: #0b5394;">どれも好きな曲ばかりですが、一曲といえば、「赤黄色の金木犀」です。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> 日々人の生き死に関わる仕事をしています。志村君は命のはかなさとということをよくわかっていた人ではないかと感じます。だから発表でも申し上げましたが、なくなってしまったものへの気持ちを歌詞の中で語るのではないかと思っています。この曲ではそれを金木犀の香りに託すんですよね。嗅覚は人の五感の中でとても強いもので、感覚として残るといわれています。金木犀は季節も限られますし、たくさんあるものでもないと思いますが、その一瞬を香りに託して歌っている。はかないものへの気持ちを知っている人だなあと、心をいつも揺り動かされます。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> 私にとっては命のはかなさを感じることが日常であり、日常にしなければやっていけないというところがありますが、時々ふと感情的になったりすることもあるので、そういう時は必ず志村君の曲を聴きたくなります。</span></strong><br />
<br />
次にお話ししてくださったのは、大阪からいらっしゃった女性の方でした。<br />
<br />
<strong><span style="color: #0b5394;">フジファブリックはメジャーデビューの前の2003年くらいから聞いています。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> 先日、あるライブであるバンドのボーカルの方がソロで「若者のすべて」をカヴァーしていました。 ライブの後そのボーカルの方は、フジファブリックをあまり知らなくて、この一曲くらいしか知らないと話していたのを耳にしました。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> 今日の展示で、志村君が歌詞を書き直して完成させたのを見ましたが、伝わっているんだなあと思いました。これからも多くの歌い手の方に志村君の歌を歌っていってほしいと、今日ここに来て強く思いました。</span></strong><br />
<br />
志村さんの歌が歌い継がれていくことはご来場のみなさんの願いでもあるようで、大きな拍手が起こりました。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-9936124824121978552014-12-20T14:38:00.000+09:002014-12-30T10:25:35.063+09:00フォーラム参加者のご発言 1 [フォーラムをふりかえって 7] 四人の発表者にお話ししていただいた後、「志村正彦フォーラム」にご参加いただいた方の中から挙手をしていただいて、お話しをしていただきました。今回から、お話の要約を御報告したいと思います。<br />
最初に手をあげてくださったのは富士吉田出身の女性の方でした。<br />
<br />
<span style="color: #0b5394;"><strong>大学進学を機に地元を離れましたが、自分にとっては山梨、地元の風景が好きにはなれませんでした。2008年の富士吉田ライブで、志村さんとフジファブリックに出会い、聴いているうちに山梨っていいなあと思えるようになりました。それからフジファブリックに何回も救われてきました。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> これからも応援していきたいし、志村さんのことばは残っていくと思います。自分自身もネガティブなことばをつかわないでいこうという気持ちになりました。</strong></span><br />
<br />
とても真摯にお話ししていただいたのが印象的でした。<br />
次に同じく富士吉田の男子高校生がお話ししてくださいました。<br />
<br />
<span style="color: #0b5394;"><strong>志村さんの音楽や詩は本当にすばらしい。富士吉田はロクでもないと言うと何だが、田舎で、東京が近いから憧れが強くて、山に囲まれていて閉塞感があって、峠を越えた甲府に対する意識もあって複雑です。志村さんもきっとそういうものを抱えていたと思います。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 中学生のとき先生から地元にこんな素晴らしい人がいると志村さんの話を聞きました</strong></span><span style="color: #0b5394;"><strong>。でもその時は2010年で志村さんは亡くなっていて、残念だがライブに行くことはできませんでした。志村さんのおかげで富士吉田を誇れるようになったし、いつか地元を離れる時が来ても、いつまでも忘れないでいたいです。</strong></span><br />
<br />
ユーモアをまじえて話していただいて、会場からは笑いが起こりました。<br />
続いて高知出身の男子大学生がご自分の進む道を決めるきっかけとなった、志村さんとの出会いを話してくださいました。<br />
<br />
<span style="color: #0b5394;"><strong>進路に迷って、勉強もしないで、将来を楽観的に甘く考えていました。でも、なんとなく普通のサラリーマンになるのはいやだなあと思っていました、中学三年の時、「桜の季節」のPVを見て衝撃を受けました。自分もプロモーションビデオを作りたくなり、東京の美術大学の映像学科に進学しました。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 志村さんに、またPVを作ったスミスさんに出会えていなければ、今の道に進むことはなかったのでとても感謝しています。これからも音楽を聴いて一生ファンでいつづけようと思います。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> </strong></span><span style="color: black;">志村正彦さん、フジファブリックの音楽との出会いが、故郷を新たに見いだしたり、自らの道を見つけたりするきっかけとなったとの話が続きました。</span><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"></span></strong><br />
<br />
<br />
<br />志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-16961098996488027802014-11-18T22:50:00.002+09:002014-11-19T13:41:21.597+09:00鈴木亮介さんの発表「志村正彦-軽音部・賢治・青春-」[フォーラムをふりかえって 6] <br />
続いて「Webロックマガジン<strong>BEEAST」</strong>副編集長の鈴木亮介さんにお話をしていただきました。鈴木さんは直接フジファブリックの取材をなさったことはないとのことでしたが、最近の高校生のバンド活動への志村さんの影響を始めとして、多様な観点からお話ししてくださいました。<br />
<br />
<span style="color: #0b5394;"><span style="color: black;"> </span><strong>高校生、10代のみなさんのバンド活動について取材していると、今は軽音部が大変隆盛だと感じます。中には100人を超えるような部もある。昔は軽音部というと不良の溜まり場といったイメージが強かったと思いますが、今はそんなことはありません。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 顧問の先生も名ばかりではなく実際に技術を教えられる方がたくさんいますし、機材や練習場所やバンドをやっているといろいろお金がかかりますが、学校の部活ならそれが無料で使えます。そんなわけで楽器をやるという間口はとても広くなっていて、一年生の時はひたすら基礎練習、目標は大会で優勝することというまるで体育会系のような状況も生まれています。</strong></span><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> </span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> そんな中でフジファブリックは人気のバンドの一つです。でもみんながキャアキャア騒いでいる感じではなくて、ミーハーより本格志向、軽音部の中では割と地味で、技術があるそんなバンドがコピーをしていることが多いように見えます。<br /> さて、バンドをやりたい若者にとって、かつてないほど間口が広がって、恵まれた状況なわけですが、だからといって、よい音楽が生まれ、ロックスターが出てくるかというと、逆なわけです。志村さんが軽音部で、部活の仲間と練習しているっていうのはちょっと想像できないですよね。物があったり教える先生がいたり気軽に始められたりという豊かな環境があればいいというわけでもなくて、制限された中でいろいろなハードルがあったりするほうがむしろ素晴らしい音楽が生まれてくるような気がします。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"></span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> ここからはほんとうにファンとしての思いになってしまいますけれども、志村さんの音楽に対する原動力とはいったいなんだろうと思います。今日展示を見ていて、宮沢賢治とリンクするような気がしました。宮沢賢治も37歳の若さで亡くなって、賢治の方がもっと不遇な状況で、生前に一冊しか本が出せなくて死んでから評価されたですけれども。賢治も一つのセンテンス、ワンフレーズ、一つのことばを何度も何度も消したり書き直したりした跡が原稿に残っているんですね。そのへん志村さんの詩の作り方と通ずるとことがあると思いました。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> 志村さんがこの時代にここまで徹底して一つ一つのことばにストイックに向かい合ったというのは稀有なことかなと思います。結局その原動力とは何かはよくわからないんですが、それは簡単にわかるようなことではなくて、何か内側から湧き上がってくるもの、天から与えられた才能なのかなと思ったりもしました。 </span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"></span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> 中国に五行説というのがありまして、「青春」というのはみなさんよくご存じだと思いますが、実は人生を4つの季節になぞらえたもので、自我が確立する16歳くらいから30歳までを「青春」、30~40歳を「朱夏」、40~50歳を「白秋」、50歳以降を「玄冬」と言います。 五行の五番目は土に還る、つまり死を意味します。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> そんなライフステージを考えると、志村さんは「青春」の間を生き抜いて残念ながら人生を終えてしまったわけですが、もし今生きて次のステージに入っていたらどんな歌を作っていただろうと思うと、想像するだけで楽しみな気がします。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"></span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> 人が死んだあとに何が残るかというと、亡くなって数十年は関係した人達の記憶に残るかもしれませんが、徐々に忘れられていって、そのあとに残るのはことばだと思います。ことばというのは、もう少し広く解釈して絵画とか、彫刻とか、写真とか、音楽とかも含めていいかもしれません。松尾芭蕉は人は儚く、永遠と思われる山河のような自然も姿を変える。残るものはことばであると言っています。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> そういう意味で、今回志村さんのことば、詩の世界に着目したこのイベントはとても良い場だったと思います。 </span></strong> <br />
<br />
鈴木さんの御発表は、高校生の軽音部の活動への言及、志村さんと宮沢賢治の詩の作り方の類似性の指摘、中国の五行説による考察など、ジャーナリストらしい目配りのきいた、とても充実したものでした。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-28253671906598611702014-11-03T20:35:00.000+09:002014-11-03T20:40:39.685+09:00前嶋愛子さんの発表「志村正彦 表現の特徴と世界観」[フォーラムをふりかえって 5] 倉辺さんに続いて、前嶋愛子さんの発表がありました。<br />
前嶋さんは志村さんの詩の「表現の特徴と世界観」をテーマに丁寧な読解をもとに発表して下さいました。記録映像から文字に起こしたものを以下掲載します。<br />
<br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 志村君の詩は、日本語、英語にしてもカタカナ表記です。その中で志村君は語感をとても大切にしていると感じられます。例えば擬音語、擬態語などオノマトペの多用ということがあります。藤井フミヤさんに提供した「どんどこ男」はタイトルからしてそうですし、有名な「銀河」の「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」などたくさんあります。語感という点ではもう一つにはリフレインが多い、単にサビの部分を繰り返すだけではなく、印象的なフレーズが多いと思います。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> また歌詞の中にどことなく昭和の風景が見えてくるというのも特徴だと思います。富士吉田を訪れたことがある方ならおわかりだと思いますが、まさに歌詞の風景がそこにあります。私も志村君と同世代ということもあって、路地裏とか、駄菓子屋とか、スポーツだったらサッカーより野球といった昭和の風景が投影されているところに懐かしさを感じますし、生まれ育った場所は違いますが、共感できます。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> ここからは私が今回お伝えしたいことに入るのですが、使われている人称を見てみると、一人称の場合は「僕」、一部「俺」という場合もありますが、ほとんど「僕」で、二人称は「君」または「あなた」となります。基本的に「僕と君」もしくは「あなた」の物語という中で語られる世界です。志村君はロックスターなので、女の子にとっては憧れ、恋の対象になってしまいがちです。だから、聴いたり読んだりしていて、「君」とか「あなた」つまり女の子との関係性が気になります。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> では、志村作品の女の子たちはどう描かれているかというと、歌詞と言うよりも映像、特にスミスさんが撮った初期のミュージックビデオの影響で制服の美少女、女子高生、そんなイメージが強いのではないでしょうか。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 志村君自身の妄想癖というと語弊があるかもしれませんが、妄想が爆発する歌詞が結構あります。例えば、初期の作品「花屋の娘」は「暇つぶしに」花屋の娘に恋をするというところから始まって全編妄想でできたような詩ですが、では、妄想で何をしているかというと公園に行って、かくれんぼするというように随分かわいらしい。妄想といってもそんな類のものです。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> また、パーツに対するこだわりのようなものも見受けられます。例えば、髪の毛に対して、「赤くなった君の髪が僕をちょっと孤独にさせた」(「午前3時」)や「君が髪型を変えたことが気がかりです」(「記念写真」)などは、髪のせいで孤独になったり気がかりであったりするんですが、それを相手に聞けずに悶々としている様子がうかがえます。また、口、声にもこだわりがあって、これは志村君がヴォーカリストだということも関係しているのかもしれませんが、「唇のソレ」の口元のほくろや「マリアとアマゾネス」の声などパーツに言及しているものが多いです。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> こうしてみていくと、「君」を女の子と想定していたのが、そもそもそれでいいのかと気になってきます。だいたい「愛している」とか「好きだよ」ということばは一切出てきません。唯一「水飴と綿飴」の中に「love you」と出てくるんですが、すぐあとに「嘘だよ」と切り返していて、ひねってあるというか、単純なラブソングの枠組みでは志村作品の「僕」と「君」との関係性は読めないようになっています。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> そうした表現上の特徴から一歩踏み込んで「君」と「僕」との物語を考えてみると、特に初期の曲の歌詞には、すでに去ってしまった相手への思いを綴ったり、回想したりしているものが多いと思います。その表現がとても巧みで、「儚く色褪せてゆく」花に過去の君を投影したり(「花」)、実際思い返してみると「感傷的にはなりきれない」自分に気付いたり(「赤黄色の金木犀」)というふうに表現されています。過ぎ去ったものへの思いで、立ち止まる僕というものが描かれているところが非常に印象的です。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 「陽炎」の歌詞の中では「君」ではなくて「あの人」という三人称に変わっています。一見相手との距離が遠くなっているように見えますが、通り雨が降ってやむまでのほんの短い時間の中で「あの人」のことを思ってしまう、そういう深い関わりのある相手であることを私達に想像させてくれます。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 「走る」「逃げる」「追いかける」などのことばが多いことはさきほどの発表にもありましたが、「二人で」とか「あなたと」「逃げる」というような表現があります。ここでは「銀河」と「サボテンレコード」を例に挙げましたが、「あなたと」逃げるとか「あなたを」連れて行くとかというのは、何から逃げるかわからないんですけれども、とても強い気持ちを表していると思うんですね。「愛している」というようなことばではなくて行動で表すというか。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 今挙げた二曲は初期の曲ですが、中期以降の曲で同じようなシチュエーションを探してみると、一緒に逃げるのではなく、自分が相手のところへ行くというふうに少し変わってきています。「銀河」や「サボテンレコード」は「向かおう」「連れて行こう」と言いますが、いずれも未然形で、ほんとうに二人で逃げたかどうかはわかりません。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> それが「星降る夜になったら」では「迎えに行く」と言いながら「迎えに行くとするよ」となって、まだ実際に行ったかはわかりませんが、「Suger!」 になると「君に届けに行くから待ってて」と相手に投げかけていて、意思表示をして自ら動こうとしている「僕」の姿が想像できます。このあたりは時間を追っての変化だと思います。 </strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 今日の展示パネルにも、「二人」から「僕ら」への人称の変化が起こっていて、それが「Teenager」以降だという考察がありまして、その通りだと思ったんです。過去への追慕だったり内省的だったりというのが、一般的な志村君の詩の解釈なのかもしれませんが、近年の作品には動こうとする「君」と「僕」、「僕ら」という関係が描かれていて、それがどうなっていくのか見たかったなあと思います。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 志村さんの詩はいろいろな読み方、聴き方ができ、解釈の自由度があります。そこに書き手の器量の大きさを感じさせます。私はそんな志村君の歌が大好きでこれからも聴き続けたいと思います。みなさまにもそうあってほしいと願って発表させていただきました。</strong></span><br />
<br />
<br />
前嶋さんのご発表は、作品の具体的な言葉に即して、しかも、様々な作品を通して、志村正彦の詩的世界を丁寧に分かりやすく分析したものでした。特に、人称代名詞から読みとれる関係のあり方について深く考察されていて、とても興味深いものでした。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-61265065543819473712014-10-20T21:11:00.000+09:002014-10-20T21:32:37.629+09:00倉辺洋介さんの発表「志村正彦とLOST DECADES」[フォーラムをふりかえって 4] 新宿LOFTの樋口さんに続いて、倉辺洋介さんが、同世代のファンの立場から、パワーポイントで資料をスクリーンに映しながら、「志村正彦とLOST DECADES」 と題する発表をしてくださいました。<br />
ファーストアルバムの頃にファンになり、志村さんの曲に励まされてきたという倉辺さんのお話は、志村さんと同じ時代を生きた世代の視点から、時代と歌詞との関係を考察するものでした。発表の要旨は次の通りです。<br />
<br />
<br />
<span style="color: #0b5394;"><strong>志村君はバブル崩壊後に少年期を過ごし、高校卒業後上京した頃には音楽シーンは縮小する傾向にあり、メジャーデビューの頃には景気は少し持ち直したものの、決して右肩上がりではない、明日が今日よりいいとは限らない時代を生きてきました。そんな中、不安を抱き、ある種割り切った感覚を持ちながらも、悟ってしまっているのでもあきらめきっているのではなく、もがいている。そういう世代で共有する感覚があるという仮説のもとに志村君の歌詞を見ていこうというのがこの発表の試みです。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 今日も上映された富士五湖文化センターでのライブでも、普通の大人になりたくなかったから始めた音楽活動なのに、不安視している自分がいるということを志村君自身が述べていますが、やはり志村君自身も時代の不安感、取り残されていくような焦燥感を抱えていたのだと思います。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> 今回は、このライブの後、リーマンョックがあり、「派遣村」などということばも聞かれた激動の時代に出されたアルバム「CHRONICLE」を中心に見ていきたいと思います。すると、「描いていた夢に近づけてるのかと日々悩むのであります」(「クロニクル」)、「なりたかった大人になれたのか悩む」(「タイムマシン」)など富士吉田凱旋ライブの夢を達成したにもかかわらずまだ悩んでいる志村君がいる。「明日になればきっと良くなるなんて希望持てれるものならばとっくに持ってるよ」(「Clock」)はまさに先程述べた明日が今日よりいいとは限らないという感覚ですし、「僕はなんで大事なところ間違えて膨大な問題ばかりを抱えて」(「ないものねだり」)などの自分を卑下してしまったりする歌詞が見られます。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> しかし、一方で単純にあきらめているかというとそうではなくて、「折れちゃいそうな心だけど君からもらった心がある」(「ルーティーン」「CHRONICLE」とほぼ同時期に発表された)、「だいたいそうだ なるべくそうだ 後悔だけはしたくないのです」(「タイムマシーン」)、「何かを始めるのには何かを捨てなきゃな 割り切れないことばかりです 僕らは今を必死にもがいて」(「エイプリル」)などには、絶望しないでストイックに向き合う志村君の姿があると思います。<br /><br /> こう言うと、「CHRONICLE」は異質だからという指摘もありそうですが、このような目で見てみると、ほかのアルバムの楽曲にもそのような面は見られます。例えば、「ダンス2000」はあんなにノリのよいダンスミュージックなのにサビで「いや しかし なぜに」というような歌詞が登場したり、「桜の季節」では真正面から桜の花を歌うのではなくて「桜の季節過ぎたら」「桜が枯れた頃」となっていたりします。しかし「心に決めたよ」と決意を秘めて立っている。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> また「悲しくたってさ 夏は簡単に終わらないのさ」(「線香花火」)のようにあきらめない。他の曲にも前向きに何かをつかみ取ろうと追いかける、走るなどのモチーフが多く見られます。「陽炎」も「きっと今ではなくなったものもたくさんあるだろう」という喪失感がありますが、「窓からそっと手を出して」からあとには一歩踏み出そうという前向きさが感じられます。</strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong></strong></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><strong> このように18歳で一人で上京し不安を抱き、下積みの苦労をしながらも、あきらめず、進もうとして紡いできた志村君の歌詞には、不安や焦燥を抱えながらもストイックに前向きにもがいているという特徴があり、だからこそ僕らは励まされたり背中を押されたり意志の強さ感じたりするのだと思います。そしてそれが今日のテーマである「ロックの詩人」志村正彦の魅力であると思います。</strong></span><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"></span></strong><br />
<br />
倉辺さんの発表は時代背景を丁寧に追って、志村さんの楽曲と時代を結びつける新しい視点を与えてくれました。同世代の聴き手ならではの実感がこもっていて説得力がありました。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-88399833416067256282014-10-06T23:35:00.000+09:002014-10-07T09:10:28.858+09:00新宿LOFT樋口寛子さんのお話 [フォーラムをふりかえって 3] 志村正彦さんとご親交のあった方々からのコメントの発表に引き続いて、志村さんをインディーズデビュー以前からよく知る新宿LOFTの樋口寛子さん、志村さんのファンという立場から倉辺洋介さん、前嶋愛子さん、ウェブロックマガジン「BEEAST」副編集長の鈴木亮介さんに、各々10分から15分ほどお話しをしていただきました。<br />
<br />
樋口さんはロフトプロジェクトの担当者として、インディーズ時代の「アラカルト」「アラモード」の2枚のアルバムの制作に携わった方です。インディーズデビュー前後の志村さんについて、時に会場からの質問にも応じながら、次のようにお話してくださいました。<br />
<br />
<br />
<span style="color: #0b5394;"><span style="color: black;"> </span><strong>「線香花火」と「茜色の夕日」が入ったカセットテープを聴いて、とてもいい曲だなあと思ったのが出会いでした。最初にロフトにライブにやってきた時は、「若いのがやってきたな」という印象でした。</strong></span><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"></span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> 当時21歳の志村君はふだんは物静かでしたが、ステージにはうれしそうに立っていました。でも、照れなのか、歌もMCもまっすぐにお客さんを見ることができなくて、そのことはライブ終了後に話したことがありました。それが、メジャーデビューの頃には堂々と前を見て歌っていて成長を感じました。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"></span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> ロフトレーベルからインディーズのアルバムを2枚出しました。1</span></strong><strong><span style="color: #0b5394;">枚目の時からいきなり売れたわけではなかったのですが、ライブを重ねるたびにどんどんお客さんの数が増えていきました。 志村君の曲は聴けば聴くほど味がある、そんな魅力があるのだと思います。どんどん増えていくお客さんを見て、長くやってくれるバンドになると確信しました。</span></strong><br />
<br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> アルバムを作る時も志村君の歌詞やメロディーに対して何かを言ったことはありませんでした</span></strong><strong><span style="color: #0b5394;">。「新しい曲ができました」と生まれてくるものをただ信頼して待っていました。</span></strong><br />
<strong><span style="color: #0b5394;"> インディーズのアルバムにはあの当時にしか出せない空気感や初期衝動がパッケージされていて、今でもよく聴くし大好きです。あれを超えるものには出会えていないです。</span></strong> <br />
<br />
<br />
樋口さんのお話からは、志村さんと樋口さんの間にある信頼感が伝わってきました。インディーズ時代のすばらしいアルバムもこの信頼感があってこそ可能になったのだろうとあらためて感じることができました。<br />
志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-74319954545501963932014-09-28T23:08:00.000+09:002014-09-28T23:27:11.549+09:00ご親交のあった方々からのコメント [フォーラムをふりかえって 2]ライブ映像上映後、志村正彦さんとご親交のあった方々からのコメントを実行委員が代読させていただきました。<br />
<br />
渡辺平蔵さんと小俣梓司さんは高校時代バンドを組んでいたご友人で、上京してから「富士ファブリック」を結成した時のオリジナルメンバーでした。コメントはパネルにして展示室にも掲示させていただきました。(「ご両親・ご友人・恩師の言葉 [展示をふりかえって 4] 」参照。<a href="http://msforexh.blogspot.jp/2014/07/blog-post_26.html">http://msforexh.blogspot.jp/2014/07/blog-post_26.html</a> )<br />
<br />
渡辺平蔵さんに関しては、パネルに掲示した以外に、小学生のとき、二人で自転車で遠出して帰れなくなり最後に残っていた10円で家に電話をして迎えに来てもらったことや、高校時代にバイクで甲府にエフェクターを買いに行き、帰り道で志村さんが転倒してバイクが故障してしまったこと、「いつもの丘」のさらに奥の見晴らしのいいところに行って、二人で何を話すでもなく座って景色を眺めていたことなどのエピソードもお話ししていただいたので、それをまとめて読ませていただきました。<br />
<br />
お二人の言葉からは、志村さんの普通の少年、青年であった姿と、やはり人とは違う特別であった姿との両方をうかがうことができました。<br />
<br />
もう一人、志村さんの小学校時代の担任であった渡辺光美先生が以前にお書きになった文章を、許可を得てご紹介させていただきました。<br />
<br />
桜の季節になり、志村正彦君、まー君のことを思い出すこと。何かを成し遂げつつあったまー君の突然の死から命のはかなさ、大切さを思い、みなさんにもそれを思ってほしいということ。展示させていただいた学級通信をお作りになった先生の教え子の死を悼む気持ちが伝わってきました。<br />
<br />
お三方とも、お仕事の都合などのご事情があってフォーラムにご参加いただけませんでしたが、コメントの形でご協力いただいたことは大変ありがたいことでした。感謝申し上げます。<br />
身近で志村さんを見ていた方のコメントは、あらためて失われたものの大きさを感じさせるものであったからでしょうか、会場はしんみりとした雰囲気に包まれました。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-55128365703312908552014-09-21T23:33:00.000+09:002014-09-21T23:45:35.002+09:00フォーラムの進行とライブ映像の上映[フォーラムをふりかえって 1] このブログを休載させていただいてから一月以上が絶ちました。本日から再開させていただきます。今回からしばらくの間、「志村正彦フォーラム」についてのご報告とふりかえりを掲載していきたいと思っております。<br />
<br />
「志村正彦フォーラム」は、7月13日(日)14時より山梨県立図書館2階の多目的ホールを会場にして開催されました。定員は200名、後援者や関係者の分を除いて、160名の参加者を募りましたが、1週間ほど前には申し込みが定数に達しました。関係者の数を再確認し、一般の参加者を170名まで増やしましたが、最終的にはお断りしなければならない状況になりました。<br />
<br />
会場のホールは前方上部にスクリーンがあるので、鑑賞しやすいように、当初は余裕を持って椅子を配置する予定でしたが、200名の満席状態だったので、ほとんどすべてのスペースを使って椅子を並べることになりました。後方は段差のある座席になっているので比較的見やすいのが幸いでした。<br />
<br />
当日の進行は次の通りでした。<br />
1.フジファブリック・ライブ映像 3曲上映[予定時間25分]<br />
2.ゆかりの方コメント紹介・講演者4人によるトーク[予定時間55分]<br />
3.フリートーク等[予定時間40分]<br />
全部で2時間(120分)の予定でした。<br />
<br />
初めに、フジファブリック・ライブ映像を3曲上映した理由は、参加者はもちろん志村さんの熱心なファンが多かったのですが、中にはまだよく知らないで参加したという方もいらっしゃったからです。 映像を見ていただくよい機会だと考えました。<br />
<br />
主催者としてはもう一つの理由がありました。<br />
志村さんは生前、故郷山梨でのライブについて、第一に実家近くの富士吉田市民会館、次に富士急ハイランドのコニファーフォレスト、さらに甲府の山梨県民文化ホール(昔も今もほとんどの音楽家の山梨公演はこの会場で行われます)の三カ所でやりたいという夢があったそうです。第一の夢は叶い、第二の夢も準備中だったのですが、結局、彼の亡くなった後に「フジフジ富士Q」としてゲストボーカル方式で開催されました。甲府でのライブはおそらく企画にまで上がることもなく、幻に終わりました。だからこそ、ライブ映像を通してではありますが、今回の志村展の会場でもある甲府で、フジファブリックの歌と演奏を会場のみんなで一緒に鑑賞したいという主催者側の想いがありました。擬似的コンサートではありますが、志村さんも喜んでくれるような気がしたからです。<br />
<br />
曲目は次の3点を考えて選曲しました。<br />
・時間の制約から代表曲3つに絞り、年代的なバランスも図ること。<br />
・ライブ映像の会場は、新宿ロフトと富士五湖文化センターの二つが絶対に含まれること。<br />
・彼の人生と作品について知ることのできるMCのある映像であること。<br />
<br />
このような観点から以下の3曲に決め、上映しました。(映像制作者のEMI Records Japan様には事前に許諾していただきました。あらためて感謝を申し上げます)<br />
1.『桜の季節』(2004.4.13@新宿LOFT) 『FAB BOX』収録 <br />
2.『若者のすべて』(2007.12.15@両国国技館) 『両国国技館ライブ』収録<br />
3.『茜色の夕日』(2008.5.31@富士五湖文化センター) 『FAB BOX II』収録 <br />
<br />
大型スクリーンに映し出される志村さんの映像を参加者みんなで見ることは意味のあることだったと考えています。どれもすばらしい演奏と内容の濃いMCで、夢中で見ているうちにあっという間に時間が経ってしまいました。フォーラムの参加者にお書きいただいたアンケートにも、始めにライブ映像を見ることができて良かったという感想が多く寄せられました。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-88943012875791811522014-08-11T08:13:00.005+09:002014-08-11T08:36:07.556+09:00現実と課題 [展示をふりかえって 11] 「ロックの詩人 志村正彦展」が終了して一ヶ月が経ちます。これまで展示について10回ほどふりかえってきました。(各々の回にテーマを設けたり、ナンバーを付けかえたりして、題名を少し変更させていただきました)<br />
<br />
この「ふりかえり」を書いた理由は、今後、志村正彦、フジファブリック、あるいはその他のアーティストに対して、何らかの活動をする方々のために、少しでも参考になればという想いからでした。<br />
<br />
人は経験を通して学ぶことができます。今回の試みから学んだことを、様々な問題点を含めて、伝えていくことが必要だと考えました。現実的な制約、予算上の問題、権利上の配慮などについても、簡潔ではありますが、記しました。それらは、読みようによっては、言い訳めいたものに感じられたかもしれませんが、それは私たちの本意ではなく、事実や課題を明らかにすることが大切だという判断をしました。<br />
<br />
この公式webをご覧になっている方は、このような「ふりかえり」よりも、客観的な「報告」、展示資料の紹介や写真の掲載を求められているかもしれません。しかし、すでに書きましたように、『若者のすべて』草稿をはじめ、展示室内の限定公開という性格上、詳細に記すことは控えました。<br />
<br />
この機会に、今回の組織について説明します。「ロックの詩人 志村正彦展」の実行委員会は、非営利の自発的組織でした。私と妻が中心となり、私たちの家族や友人たちの支援と協力を得て、組織しました。企画・資料選択と構成・解説執筆は、代表の私がほぼ一人で担当しました。(したがって、これらに関する全責任は代表の私にあります)原稿については、妻の助言や校閲も経て完成させました。パネル作成、展示室での飾り付け、当日の運営については、家族や友人、仲間たちが中心となりました。<br />
<br />
これまで「展示」についてふりかえってきました。まだ、フォーラムのふりかえりやアンケートの報告が残っていますが、このあたりで、一か月ほど休載期間をいただいて、その後再開したいと思います。<br />
誠に 申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。<br />
<br />
「ロックの詩人 志村正彦展」 実行委員会 代表 小林一之<br />
<br />志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-18517677326942551002014-08-10T11:57:00.002+09:002014-08-10T15:41:37.397+09:00展示室2のアルバム [展示をふりかえって 10]<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEikQhy1GnLgDU3RRoy7Qle2JyW-7WZ2OAxAvxJM7fWUla__K3Nn7l7Z5gnCFSvgyCDQ4zKpsBe6FmNFMsAUhirEF3WqiBLV_ODz2gQ99EfcbbPfPta_F-SOw9uLmsoCc3Wcb5aJDuuraVc/s1600/P1010953+(1280x960).jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEikQhy1GnLgDU3RRoy7Qle2JyW-7WZ2OAxAvxJM7fWUla__K3Nn7l7Z5gnCFSvgyCDQ4zKpsBe6FmNFMsAUhirEF3WqiBLV_ODz2gQ99EfcbbPfPta_F-SOw9uLmsoCc3Wcb5aJDuuraVc/s1600/P1010953+(1280x960).jpg" height="240" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">展示室2入口、壁面は『若者のすべて』草稿解説パネル</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi0480pVTcvh3SGGMipOhhH1BJYAs08ehkjIQV5FGVgbqkBGdwlhrnLDqmxU0ElBtpQjDTEo0qbYDRRT8LLS9pxDxKXXtx9cG8YVyzTQ63SAno968KLl5pDDlpHiwzW_A6B2OOGmAJ7nV4/s1600/P1010927+(1280x960).jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi0480pVTcvh3SGGMipOhhH1BJYAs08ehkjIQV5FGVgbqkBGdwlhrnLDqmxU0ElBtpQjDTEo0qbYDRRT8LLS9pxDxKXXtx9cG8YVyzTQ63SAno968KLl5pDDlpHiwzW_A6B2OOGmAJ7nV4/s1600/P1010927+(1280x960).jpg" height="240" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">『若者のすべて』草稿関連ケース、『志村正彦全詩集』</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjrU6kHCwBMDQdmf_KDKtCvUCMMQDrolrPdw_LcMJj7aHYX77ppABW_Du_9XhCCz6GanGMc8n4FzqrcW8VHLacs2tO6wonDfo3r6fqApWwzKvYqfiFtG_rPuTFkHAQoPRJFmEIbUt5LKSQ/s1600/P1010954+(1280x960).jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjrU6kHCwBMDQdmf_KDKtCvUCMMQDrolrPdw_LcMJj7aHYX77ppABW_Du_9XhCCz6GanGMc8n4FzqrcW8VHLacs2tO6wonDfo3r6fqApWwzKvYqfiFtG_rPuTFkHAQoPRJFmEIbUt5LKSQ/s1600/P1010954+(1280x960).jpg" height="240" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">雑誌展示パネル、ゆかりの品展示ケース</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjgwNPBOj3Cz1oXca2lBn3y6FfQmnmYeUveOLhbw-dyS7wlOdGFh25rR4Ho_sE3uvmXetpFbshcoSGSJ4UxmzfHjgGuKrqktx1RbDxHkovbFOpSKyZIX-YYnpn2HTv9xSdxPWYI2kcieVw/s1600/P1010944+(1280x960).jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjgwNPBOj3Cz1oXca2lBn3y6FfQmnmYeUveOLhbw-dyS7wlOdGFh25rR4Ho_sE3uvmXetpFbshcoSGSJ4UxmzfHjgGuKrqktx1RbDxHkovbFOpSKyZIX-YYnpn2HTv9xSdxPWYI2kcieVw/s1600/P1010944+(1280x960).jpg" height="240" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">黒のハット(ポスター写真で被っていた帽子)、『FABBOXⅡ』等</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj3TgiPgwSHV-ip4r4QVMVuyIDtZwPAxMdJycI-IOtNDKpacg-OGLwSul4t9DxxTeu8Ng12qsPgKIj2a1NDToWLQAeov0uZudyYXeHmxfDNpss5-2wgPC6do8KjqUBzPShxueZjPeX80hw/s1600/P1010946+(1280x960).jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj3TgiPgwSHV-ip4r4QVMVuyIDtZwPAxMdJycI-IOtNDKpacg-OGLwSul4t9DxxTeu8Ng12qsPgKIj2a1NDToWLQAeov0uZudyYXeHmxfDNpss5-2wgPC6do8KjqUBzPShxueZjPeX80hw/s1600/P1010946+(1280x960).jpg" height="240" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">ケーブルケース、雑誌追悼号</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiHRXlmk-3EgyaqpsDIW1FvMZMt1SDUX2BlUJczgRb82ZsJ8MsfMVDh29GEjUybDLpdJLw5ljDORbNAY_2lM7voD-k2sJKy3BeOua0XoURmdJEhxeEOcFwOITva-JkXsovIjqStBV8LJZA/s1600/P1010949+(960x1280).jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiHRXlmk-3EgyaqpsDIW1FvMZMt1SDUX2BlUJczgRb82ZsJ8MsfMVDh29GEjUybDLpdJLw5ljDORbNAY_2lM7voD-k2sJKy3BeOua0XoURmdJEhxeEOcFwOITva-JkXsovIjqStBV8LJZA/s1600/P1010949+(960x1280).jpg" height="320" width="240" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">「Live at 富士五湖文化センター」 ポスター</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiCJ74YSHxXHoI-U0Plybe586dVyJYYiAyJd_HIKV6r7c14nTJzGGzWmZ2LjLAiPr9K9IgsF_riGc5EfjQs1MZm-DdLepQL45pSpq0NquQbDtkpKl6k8yU-hNPHhlg17MGSKT-KgR_nh00/s1600/P1010952+(960x1280).jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiCJ74YSHxXHoI-U0Plybe586dVyJYYiAyJd_HIKV6r7c14nTJzGGzWmZ2LjLAiPr9K9IgsF_riGc5EfjQs1MZm-DdLepQL45pSpq0NquQbDtkpKl6k8yU-hNPHhlg17MGSKT-KgR_nh00/s1600/P1010952+(960x1280).jpg" height="320" width="240" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">シングル『LIFE』 ポスター</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhmR7R7zH6ifzZhyphenhyphenJXK4DLGqcjRhoHFQxaYi3qCNwypqeenDtMSzzTnXK0HcAfl0707RFi2D3tajNMSu7y7RDFDOqfSQD9IEK0xgQGS1m13G8s1dWpW6zAE8jaVjNEYlqEVeCTbd157PFw/s1600/P1010955+(1280x960).jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhmR7R7zH6ifzZhyphenhyphenJXK4DLGqcjRhoHFQxaYi3qCNwypqeenDtMSzzTnXK0HcAfl0707RFi2D3tajNMSu7y7RDFDOqfSQD9IEK0xgQGS1m13G8s1dWpW6zAE8jaVjNEYlqEVeCTbd157PFw/s1600/P1010955+(1280x960).jpg" height="240" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">メッセージ・アンケート用コーナー</td></tr>
</tbody></table>
<br />志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-55605682280026289582014-08-09T18:19:00.004+09:002014-08-10T21:32:27.817+09:00『若者のすべて』草稿について [展示をふりかえって 9] 「ロックの詩人 志村正彦展」の中で最も貴重な展示資料は、『若者のすべて』草稿ノートでした。この資料の存在を知り、その本文を読んだ時から、この草稿を中心に、「ロックの詩人」としての志村正彦を展示するという計画が動き出しました。<br />
<br />
この『若者のすべて』草稿と完成作品を比較検討すると、志村正彦の創作過程が浮かび上がってきます。簡潔にまとめると、次の4点になります。(展示パネルで公開した文を要約したものです)<br />
<br />
1.「最後の花火」とそれに関連するモチーフが全くない。<br />
2.時間の設定が異なる。草稿は「七月の今日」、完成作は「真夏のピークが去った」頃である。<br />
3.サビ「ないかな ないかな きっとね いないよな」から始まる構成であり、サビ自体にも違いがある。<br />
4.その他完成作と異なる、いくつかの表現やモチーフがある。<br />
<br />
この草稿はすでにある言葉の水準に達していて、『若者のすべて』完成作につながる世界を充分に表現していました。<br />
草稿というと未完成、未熟なものという消極的、否定的評価もありますが、企画担当者は幾つかの観点から、この草稿の価値を高く評価しました。<br />
<br />
・この草稿はある詩的世界を形成していて、独自の価値を持っている。それゆえに、志村正彦の評価を貶めるようなものでは全くないこと。<br />
・完成作は、草稿の表現内容をさらに高度な水準に変化させている。志村正彦は歌詞を何度も書き直したことが知られているが、その推敲過程を、実際の資料で検証できるものとして、第1級の資料価値があること。<br />
・志村正彦が大切に保管していたと思われる資料群の中から発見された手書きの資料であり、本人もかなりの愛着を持っていた資料だと推測されること。<br />
・ワープロで作詞することが多い時代において、自筆の資料が遺されていこと自体がある意味で奇蹟であること。<br />
<br />
以上のような観点から、この草稿を公開することが、志村正彦という「ロックの詩人」の理解を深めるために重要であると考えました。<br />
<br />
しかし、草稿を公開するために、「著作者人格権」上の「公表権」にどう対応するのかという課題が生じます。「公表権」を簡潔に説明すると、未公表の著作物を発表・公開する権利のことで、著作者人格権により、著作者本人のみが所有するものです。問題は、著作者が亡くなった場合です。死後遺された作品を誰がどのような権利で公表できるのかという問題が生じます。現在、著作者没後の場合、著作者人格権についても、著作権の継承者である家族が一定の範囲内でその権利も継承するというのが国際的に合理的な考え方のようです。<br />
<br />
今回は、そのために、志村正彦氏のご家族に、この草稿の公開の意図と展示方法の概要を説明したところ、今回の展示室内で来場者が閲覧する形に限定して、公開することを承諾していただきました。ご家族の愛情と深慮に満ちた適切なご判断だと思われました。(この場をお借りして、あらためて深く感謝を申し上げます。)そのような経緯から、展示室での撮影は(その他の資料も含めて)禁止とさせていただきました。<br />
<br />
展示についてどのような方法がいいのか、最後の最後まで悩みました。本来なら、この草稿ノートのみを展示すればいいのですが、場所と期間を限定した公開であり、閲覧自体もそれほど時間をかけられないことから、企画担当者側からの「ひとつの仮説」を提示し、パネルをある程度の数用意することで、草稿に向き合う視点のひとつを提供し、みなさまの鑑賞や議論の土台となればいいと考えました。<br />
当初は数倍書いた説明文を削りに削り、できるだけ簡潔に分かりやすく記述することに心がけました。草稿関連の展示パネルがようやく完成したのは前日のことでした。<br />
以上のような経緯と考え方により、展示室2での『若者のすべて』草稿関連の展示があのような形となりました。<br />
<br />
アンケートなどを読む限り、『若者のすべて』草稿の展示については肯定的評価がほとんどでした。ご覧になった方々の反応は何よりも、このような草稿が遺されていたことに対する「驚き」という一点に集約されます。そして、志村正彦の創作過程の具体的姿に触れることができ、歌詞を読み直す契機となったという感想も多く寄せられました。企画担当者としては、草稿展示の意図を理解していただいたようで、有り難く思いました。<br />
<br />
『若者のすべて』草稿は、あの展示室で閲覧していただいた方の「記憶」の中にのみ存在しています。上記の経緯から、この公式web上でもこの草稿本文の公開はできません。そのような事情をどうかご理解ください。(当然ですが、企画展担当者も例外ではありません。個人としてもあの草稿の本文に言及することは一切ありません)<br />
<br />
これはあくまで企画担当者の個人的意見ですが、『若者のすべて』草稿が公開されるとしたら、信頼できる出版社から信頼できる書物によって公刊する形で公開されることが望ましいと考えます。その上で、志村正彦の聴き手が各々自由に、この草稿を読み、この草稿について考える時が訪れることを願っています。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-85363632106139495242014-08-08T17:51:00.003+09:002014-08-10T15:40:40.733+09:00二つの記事と写真、メッセージとアンケート [展示をふりかえって 8] 展示室2では、壁面の4分の1ほどのスペースを使って、『音楽と人』に掲載されたインタビュー記事四つ[樋口靖幸氏が志村正彦を取材した記事(2005年12月号、2008年2月号、2009年6月号)と金澤・加藤・山内の3氏を取材した記事(2010年8月号)]と、『H』2006年3月号の記事(母校吉田高校で取材したもの)の計五つの雑誌記事をそのままB2ポスターケースに入れて展示しました。<br />
<br />
特に、『音楽と人』2005年12月号と2010年8月号の二つの記事は共に富士吉田での取材に基づいて書かれています。二つとも、忠霊塔へと上る階段の同じ位置で撮影された写真が掲載されています。2005年12月号では志村正彦1人が、2010年8月号では金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎の3人が、あの階段で佇んでいます。背後には富士吉田の街が広がっています。
<br />
<div>
この二つの記事の間、2009年12月に志村正彦は急逝しました。</div>
<div>
<br />
死は、人々の哀しみや嘆きを超えて、時に、現実を顕わにします。とても辛くなる、ある意味では残酷で悲劇的な2枚の写真です。企画担当者としては、この2枚の写真がフジファブリックの10年の現実を静かに物語っていると考え、ためらう気持ちもありましたが、御批判も覚悟の上で展示することに決めました。</div>
<br />
<div>
展示室2の最後には、「志村正彦へのメッセージ」(志村家に贈るもの)と「志村正彦展アンケート」の2点を書いていただくコーナーを設置しました。来場された方の内かなりの方が時間をかけて丁寧に書いてくださいました。お一人が長い時間かけていらっしゃるので席がたりなくなり、途中で増やしましたが、あきらめてお帰りになったり外でお書きになったりした方もいたようで、申し訳ありません。<br />
<br />
「志村正彦へのメッセージ」は志村さんのご家族にお渡ししました。みなさんの心のこもった言葉はきっと志村正彦さんに届いているだろうと思います。<br />
「志村正彦展アンケート」の数は400枚以上となり、実行委員で一つひとつ読ませていただいています。本当にありがとうございました。多くの方が長文でお書きくださったので、少しお時間をいただきますが、今後アンケートについてもご紹介していきたいと考えています。<var id="yui-ie-cursor"></var></div>
志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-37110548869967308372014-08-03T22:59:00.001+09:002014-08-10T15:40:26.170+09:00展示室2の構成 [展示をふりかえって 7] 今回から、「展示とフォーラムをふりかえって」は展示室2に移ります。<br />
<br />
展示室2では、当初、展示室1のⅠ部「志村正彦クロニクル」に引き続いて、 Ⅱ部「ロックの詩人」、Ⅲ部 「フジファブリックの10年」という構成を考えました。しかし、展示室での作業時間の制約(12日の午前の3時間しか確保できませんでした)や展示ケースの数(会場で借りられるケースは残り1つでしたので、結局、ケースを1つ購入することになりました。予算的にはこれが限界でした)などの物理的要因で、当初の予定からかなり変更することを余儀なくされました。<br />
<br />
色々とシミュレーションした結果、「ロックの詩人」の展示資料については、『若者のすべて』草稿ノートを中心に、『志村正彦全詩集』『若者のすべて』の楽譜等を展示ケース内に置き、壁面の解説パネルを充実させて、補足的な説明を行うことにしました。(『若者のすべて』草稿の展示意図については、項目を独立させて書く予定です)<br />
<br />
「フジファブリックの10年」の展示については、Ⅰ部「志村正彦クロニクル」を継続する形で、<br />
11. (志村正彦)没後の反響・出来事 [2010-2014]<br />
というコーナーを作り、志村正彦愛用の黒いハット(今回のポスターの写真で被っているもの)、ライブで使っていたケーブルを入れたアルミケース、『Talking Rock!』等の志村追悼特集号、『FAB BOX』、『SINGLES 2004-2009』、『FAB BOXⅡ』等の没後リリース作品、モテキ関連のパンフレットなどを縦長の展示ケースに陳列しました。最も最近の動向を伝えるものとして、4月13日の『Live at 富士五湖文化センター』上映會のポスターも展示しました。<br />
<br />
次のコーナーでは、<br />
12. 2010~2014年 【3人編成のフジファブリック】<br />
という展示パネルを作り、金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎の3人編成のフジファブリックの最新作『LIFE』のポスターを壁面に飾りました。(2010年以降のフジファブリックのCD、DVD等も用意していたのですが、展示ケースが足りないという物理的理由により叶いませんでした)<br />
本当に少ないスペースで申し訳ありませんでしたが、現在のフジファブリックについても何らかの形で展示したいと当初から考えていました。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-91236080079666072082014-08-02T18:09:00.000+09:002014-08-10T15:40:08.496+09:00展示室1のアルバム [展示をふりかえって 6]<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitWygSytJIvTIHHyEJTN2AhG9B5btD00xWYB6uyD2ziA5fgfH025OafF9_bW3A_QERm-SmIJDDC7ZuodRurifN54Iif7ngYEreGIR1J7Etova0ClEO9YZmRNB120bSmCCG7pOk4p_Lfc0/s1600/DSC_0635.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitWygSytJIvTIHHyEJTN2AhG9B5btD00xWYB6uyD2ziA5fgfH025OafF9_bW3A_QERm-SmIJDDC7ZuodRurifN54Iif7ngYEreGIR1J7Etova0ClEO9YZmRNB120bSmCCG7pOk4p_Lfc0/s1600/DSC_0635.JPG" height="180" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">展示室1へと並ぶ列(1日目)</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhdYUfQgvXzj3wg0BNxNi5R8gPTFMrNNe8zw0t_r6VffAFukk0vr_hjns7mEp-eBc1fwCBi6mDtY6l21tcgnSndOMgvrRHQ3lQ5u_CZZXZQMA1VM4FH8eht1vGoFDzDs8pcpC9QxSbVsuI/s1600/DSC_0658.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhdYUfQgvXzj3wg0BNxNi5R8gPTFMrNNe8zw0t_r6VffAFukk0vr_hjns7mEp-eBc1fwCBi6mDtY6l21tcgnSndOMgvrRHQ3lQ5u_CZZXZQMA1VM4FH8eht1vGoFDzDs8pcpC9QxSbVsuI/s1600/DSC_0658.JPG" height="180" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">入口すぐの壁面(志村正彦略歴とポスターの元写真)</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj-VIpNnNWLeKsu69cQP8tcsCKOQLWSFifknbuPbNyUSWZQToAa-A38mZn2rk1OkHBsbjWs1Yj4mCwfbtFu0mc6q5jNBEkw-_DSG9O32tHei8veA4Vj754pf2dJzXVnlgmC17lCjfutgkE/s1600/DSC_0630.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj-VIpNnNWLeKsu69cQP8tcsCKOQLWSFifknbuPbNyUSWZQToAa-A38mZn2rk1OkHBsbjWs1Yj4mCwfbtFu0mc6q5jNBEkw-_DSG9O32tHei8veA4Vj754pf2dJzXVnlgmC17lCjfutgkE/s1600/DSC_0630.JPG" height="180" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">展示室1中央(1日目)</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhaHRkAxzuiszOpQYi3xo5Z1g9_H5c6Pk8MNWypyS0SaEQPtcw9CG_keXKBxi7ofrow46aokG5TFGVCbmPO9DFHEgUcevAghQHT3gZ2Iaw_mG5KJXvABruCrDqfvUhJLJTqimMdMNsnqdk/s1600/DSC_0654.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhaHRkAxzuiszOpQYi3xo5Z1g9_H5c6Pk8MNWypyS0SaEQPtcw9CG_keXKBxi7ofrow46aokG5TFGVCbmPO9DFHEgUcevAghQHT3gZ2Iaw_mG5KJXvABruCrDqfvUhJLJTqimMdMNsnqdk/s1600/DSC_0654.JPG" height="180" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">赤池宏己先生による肖像画・他</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhm0k-pZF-brsM-V772sqr-ovc6r8kZW9iLiRYQHk3Fw6QDH18zZCR74oqdPEyCjVc09cv0xkn-wkUQ6SOBfVqoMbpMoWoLICudz1JJRqk_6XfhP664YlGZUPaZGHOmseCrL346aeK60b8/s1600/DSC_0651.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhm0k-pZF-brsM-V772sqr-ovc6r8kZW9iLiRYQHk3Fw6QDH18zZCR74oqdPEyCjVc09cv0xkn-wkUQ6SOBfVqoMbpMoWoLICudz1JJRqk_6XfhP664YlGZUPaZGHOmseCrL346aeK60b8/s1600/DSC_0651.JPG" height="180" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">柴宮夏希さんによる1stCD原画案・他</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj-Ez-mXR8QuLjaBOl4Obruatpqj43wxV9yyYq3gu46XbzIb-AVt3fArxbQOyHhknWu1dQ2gPD33in3mA0Vbd6Br7cUwerXxkvLkshWp_XtTAPD29FmnavwfFQ-tZEb7IIkh8x-OyBp__w/s1600/DSC_0646.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj-Ez-mXR8QuLjaBOl4Obruatpqj43wxV9yyYq3gu46XbzIb-AVt3fArxbQOyHhknWu1dQ2gPD33in3mA0Vbd6Br7cUwerXxkvLkshWp_XtTAPD29FmnavwfFQ-tZEb7IIkh8x-OyBp__w/s1600/DSC_0646.JPG" height="180" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">2009年の写真・パネル</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhsQN8x8E1ZIqmECps47D4bpHYBlue2BfmvJ_-DPxB24fu0QlPGvPAXcEqmT4JZEIeVuZNDzfQXjLR3SCRYLve5vOlE3e1kA2V1nxKtvShx9cQOQeFAdt5g_JcHwU4sMX77MXY6WYVOzr4/s1600/DSC_0659.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhsQN8x8E1ZIqmECps47D4bpHYBlue2BfmvJ_-DPxB24fu0QlPGvPAXcEqmT4JZEIeVuZNDzfQXjLR3SCRYLve5vOlE3e1kA2V1nxKtvShx9cQOQeFAdt5g_JcHwU4sMX77MXY6WYVOzr4/s1600/DSC_0659.JPG" height="180" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">幼少期の資料</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgr4-PaJk82VEVrgQ59ce0DGNWh4vTAa6gFeyPz7WvfSqv6uM8soWt8tO8Lk5HUWwE_hL5TRhd7ISkL-r_Ee7bfu-Sjv9gYex5i5hx2fUh2d8G6bY9Y_ecKteOMdLvcGTa3mYl6qfly4KE/s1600/DSC_0661.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgr4-PaJk82VEVrgQ59ce0DGNWh4vTAa6gFeyPz7WvfSqv6uM8soWt8tO8Lk5HUWwE_hL5TRhd7ISkL-r_Ee7bfu-Sjv9gYex5i5hx2fUh2d8G6bY9Y_ecKteOMdLvcGTa3mYl6qfly4KE/s1600/DSC_0661.JPG" height="180" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">志村正彦在籍時フジファブリックの全作品と彼の著書等</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjxQCbS5gUOJnOKpxRZioJtcv1pHaJBuphFuXL0pAum4iv8G8mihBx6J4T466pp2ZovOMLQna5rv3d9jqyP5eS07mQ0RePzqw_JQs1i0o3wgcmbJI2ZVq4nn3zL4mK6-Wr33LQdluYg8NU/s1600/DSC_0641.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjxQCbS5gUOJnOKpxRZioJtcv1pHaJBuphFuXL0pAum4iv8G8mihBx6J4T466pp2ZovOMLQna5rv3d9jqyP5eS07mQ0RePzqw_JQs1i0o3wgcmbJI2ZVq4nn3zL4mK6-Wr33LQdluYg8NU/s1600/DSC_0641.JPG" height="180" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">愛用のギター(高校時代に購入したレスポール他)</td></tr>
</tbody></table>
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjuSaddO4v67y8ANNMZ6GE-cFqFljYlQzXoJFtn3EBg-LPQL3aF8-Yp08rvmV8SZk1Fqmwje5PTGINx08lUCqAhCDu8dTqiE9mTN_HVMRnAbOXx-r_JjIEqPNu4eXYcdVDRA6QXGjo5SFc/s1600/DSC_0640.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjuSaddO4v67y8ANNMZ6GE-cFqFljYlQzXoJFtn3EBg-LPQL3aF8-Yp08rvmV8SZk1Fqmwje5PTGINx08lUCqAhCDu8dTqiE9mTN_HVMRnAbOXx-r_JjIEqPNu4eXYcdVDRA6QXGjo5SFc/s1600/DSC_0640.JPG" height="320" width="180" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">会場で飾られた花</td></tr>
</tbody></table>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<br />志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-1203232475297217732014-07-27T23:31:00.002+09:002014-08-10T12:09:33.427+09:00初公開の写真 [展示をふりかえって 5] 展示室1では、志村正彦の生涯をふりかえるために、彼自身の言葉を「志村語録」というパネルにして展示しました。出典は、展示室2の分を含めて、著書『東京、音楽、ロックンロール 完全版』、雑誌『音楽と人』『Talking Rock!』『H』等です。株式会社トーキングロック、株式会社 音楽と人、株式会社ロッキング・オンからは事前に許諾を得ました。どの社もとても協力的で、ありがたかったです。志村正彦、フジファブリックに対するリスペクトが感じられました。<br />
<br />
語録は、志村正彦の人生と作品を解き明かす鍵となるような言葉を選びましたが、スペースの制約から、当初予定の半分ほどの数となりました。また、アビーロードスタジオでの出来事や本人が語った4枚のアルバムのテーマについては解説パネルも作りました。<br />
<br />
写真については、志村家所蔵の写真、所属事務所の株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ、(株)ロフトプロジェクトからご提供のものを使用でき、「クロニクル」に相応しい質と量が備わりました。改めて感謝を申し上げます。<br />
<br />
初公開の写真も含まれていました。中でも、2009年12月23日の日付の写真、志村さんの笑顔の表情を伝える写真2点はこれまで見ることのできなかったものでした。(小さな写真をスキャンしてかなり拡大したもので、画像が粗いものでしたが、ご了承ください)<br />
<br />
写真の中の志村正彦はほんとうに楽しそうに笑っています。私たち企画担当者は、写真の快活な笑顔から、これからの活動に向けた彼の夢や希望のようなものも感じました。明くる年2010年には、新アルバムや「フジフジ富士Q」ライブが予定され、志村正彦、フジファブリックにとって大きな大きな飛躍の年となるはずでした。しかし、その翌日24日に、原因不明の身体の異変で突然、29年の生涯が閉じられてしまいました。<br />
<br />
この写真はプライベートなものであり、ご家族にとってはとても大切なものです。ですが、 私たちは、その姿を彼を愛するファンの方々に見ていただきたいと考え、是非にとお願いしました。そして、経緯や細かい説明を省いて、「2009年12月23日」というクレジットのみで展示することになりました。<br />
<br />
展示室1は、この写真を最後の展示にする構成としました。<br />
2009年12月24日に志村正彦の人生は閉じられましたが、その日以降も、志村正彦の作品は現在そして未来の聴き手に永遠に開かれ、存在し続けます。そのような祈りを込めました。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-13805566243078267262014-07-26T12:43:00.000+09:002014-08-10T12:08:17.778+09:00ご両親・ご友人・恩師の言葉 [展示をふりかえって 4] 展示室1には、ご両親、ご友人、恩師、の5人の方々から寄せていただいた思い出話をパネルにして展示しました。これまで発言されることはなかった方々の証言が含まれます。来場者も熱心に一つひとつ読んでいました。今回はその一部を紹介させていただきます。<br />
<br />
小学校以来の友人で「富士ファブリック」のメンバーだった渡辺平蔵さんは、「正彦の歌を聴いていると、幼い頃から一緒に過ごした風景を感じることがよくあります」と述べ、「正彦は『努力と研究の天才』だったと思います」「研究の対象を見つける感性があって、自分でそれをとことん研究して消化していきます」「音楽CDをたくさん持っていていましたし、その他にも、本、映画、ドラマからも何かを得て、自分のものとして取り込んでいました」と語ってくださいました。<br />
同じく友人で「富士ファブリック」のメンバー小俣梓司(おまたしんじ)さんは、「普通の男子高校生が普通に遊んでいる感じ」と高校時代のバンド活動について触れ、「誰しもが若かりし頃、共通の趣味を媒介としてその趣味以外のことを含め、人と友情を築いていくのと同じように、私たちは『富士ファブリック』というものを媒介として普通に、そしてただ無邪気に遊んでいたように思えます」とふりかえり、「私にとってその時間は今でもとてもかけがえのない大切なものです」と書いてくださいました。<br />
富士吉田そして東京で、少年期から青年期にかけての時間を共有した友にしか見えない志村さんの姿があったのでしょう。志村さんに対する深い理解と愛情が込められたコメントでした。志村さんが「幼馴染み」バンドへのあこがれを繰り返し述べてきたこともうなずけます。<br />
<br />
高校3年生の時のクラス担任の赤池宏己先生は、「多くを語らないが、はにかんだ笑顔とくっきりと澄んだまなざしに、意志の強さを感じました」と志村さんを描き、三者面談の際に「卒業後の進路を打ち明けられたとき、それを否定する理由はありませんでした。その時の彼はさすがに神妙な面持ちでしたが、担任の立場よりも私個人の思いとして、夢を追いかけてほしいと願ったことを覚えています。」と書いてくださいました。<br />
自身も美術の教師であり、絵画を創作している赤池先生は、音楽の道を進む志村さんに対して、芸術の道に生きることの厳しさを乗り越えていく意志と力を感じとっていたのでしょう。<br />
<br />
母妙子さんに語っていただいた正彦さんの上京前の様子、自炊のために料理を習ったり、家の中や近くの道、富士吉田の街や自然を慈しむように眺めていたりした姿からは、志を抱いて故郷を後にする決意と、家族や周囲への愛情が表れていました。ご家族がそれを静かに見守っていた様子も感じられました。<br />
父清春さんは、高校入学の頃、甲府の岡島百貨店でギターを初めて購入したときのエピソードをお話ししてくださいました。正彦さんがアルバイト代で払うと買ってきたギブソンのレスポールスペシャル。本人は3万8000円と言っていたが、後になって月々3万8000円の10回払いだったと知ったこと、約束通りアルバイトをして払いきったこと、それだけ音楽に真剣だったのだろうとふりかえっていらっしゃいました。<br />
<br />
志村さんを身近で見ていらっしゃたご両親、ご友人や恩師の言葉は、プロのミュージシャンになる以前の志村正彦を浮かび上がらせる重要な証言でした。ご多忙のところ、貴重な言葉を寄せていただき、この場をお借りして改めて、感謝を申し上げます。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-72757125094346482132014-07-25T09:56:00.003+09:002014-08-10T12:07:18.554+09:00志村正彦クロニクル [展示をふりかえって 3] 展示室1は、「クロニクル」と題した解説パネルによって、志村正彦の生涯を10の時期に分けて展示しました。志村正彦、フジファブリックに対する予備知識がない方にとっても分かりやすいものとなるように工夫しました。生涯の区分と各々の名称は次の通りです。<br />
<br />
<strong> 1.誕生・幼少年期 【クロニクル1】</strong><br />
<strong> 2.中学・高校時代 【クロニクル2】</strong><br />
<strong> 3.上京・アマチュア時代 【クロニクル3】</strong><br />
<strong> 4.富士ファブリック[2000-2001] 【クロニクル4】</strong><br />
<strong> 5.フジファブリック[2001-2002] 【クロニクル5】<br /> 6.メンバーの過渡期 [2002-2003]【クロニクル6】<br /> 7.2004年・メジャーデビュー 【クロニクル7】 </strong><br />
<strong> 8.2005年-2006年 【クロニクル8】</strong><br />
<strong> 9.2007年-2008年 【クロニクル9】</strong><br />
<strong> 10.2009年・急逝 【クロニクル10】</strong><br />
<br />
壁面を中心に、志村さんの肖像写真やフジファブリックのライブ写真、富士吉田ゆかりの場の写真など50点程、ご友人・恩師・ご両親のコメントを掲載したパネル5点、「志村語録」と名づけた彼自身の言葉を引用したパネル20点程、その他キャプションを掲示しました。志村正彦の生涯を簡潔にしかし丁寧にたどるという目的のためには、あの位の数量のパネルや写真は必要だと考えていました。<br />
(来場された皆さまに一字一句丁寧にご覧いただいたことで、結果として、一人ひとりの閲覧時間が私たちの想定を超え、なかなか前に進めない、入場できないという状況になり、ご迷惑をおかけしました。そのあたりの「読み」が甘かったと痛感しました。実行委員会の代表者は山梨県立文学館で常設展や「生誕百年記念 芥川龍之介展」等の企画展をいくつか担当しましたが、来場者がこれだけ熱心に時間をかけて一つ一つの資料、パネル等に接する経験はほとんどありませんでした。来場された皆さまの志村正彦、フジファブリックに対する想いの深さによって、「ロックの詩人 志村正彦展」は希有な展示会となったように思います) <br />
<br />
部屋の中央にはガラスの展示ケース4台を配置し(1日目はそのうち2台を壁面につけていましたが、スムーズな動線とするために、2日目に中央に移動しました)。<br />
ケース1に幼少年期の資料(保育園卒園時の手形や本人の言葉、小学校時代の学級通信、手製のパズル、応援歌とするために作詞した「学園天国」の替え歌など)、ケース2に新宿ロフト時代の資料(赤富士通信、本人手書きのライブアンケート用紙、自筆サインなど)、ケース3にメジャー時代の資料(彼が愛用した「SHIMURA」と記入されたマイク、「ダンス2000」の自筆歌詞カード、本人が実際に使ったオリジナルピックなど)、そしてケース4には志村正彦在籍時のフジファブリックのCD・DVD等の全作品(一部のシングルを除く)、著書『東京、音楽、ロックンロール』や楽譜を展示しました。<br />
<br />
壁面には、高校3年時の担任、赤池宏己先生による18歳の志村正彦の肖像画、柴宮夏希さんが描いたCD『フジファブリック』ジャケット用の別案の原画、四人囃子との対バンライブのグッズの「手ぬぐい」も額に入れて飾りました。<br />
入り口から入って右側のスペースには、愛用のギター3本(高校時代、甲府の岡島百貨店にあった新星堂ロックイン甲府店で購入したレスポール・スペシャルなど)を並べて展示しました。<br />
なお、出口近くのモニターで、フジファブリックのドキュメンタリー映像を流したのですが、あまりにも混雑してしまったたために、途中で停止させていただきました。(ご覧になりたかった人にはお詫び申し上げます)<br />
<br />志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-67019444157016475452014-07-21T12:22:00.004+09:002014-08-10T12:06:31.021+09:00広報とポスター [展示をふりかえって 2] 「ロックの詩人 志村正彦展」は、初公開の資料、写真、コメントなどが含まれていましたが、そのことを含め、展示内容の詳細を事前に伝えることはあえてしませんでした。当日、いらっしゃる方々の出会いと発見を大切にしたいと思いました。「初公開」という話題性で来場者を増やすのは、何となく、志村正彦展らしくないなという気持ちもありました。<br />
<br />
広報についても、基本的にはこのwebを通して行うだけでした。「偶景web」の読者を中心に、SNSを通して少しずつ広まっていく感じでした。そのような流れの中で、ほんとうに思いがけなく、フジファブリックの公式サイトとナタリーでご紹介いただきました。とてもありがたく、恐縮しました。公式webのアクセス数、フォーラムの申込数共に、非常な勢いで伸びてきました。<br />
そのことは励みともなりましたが、同時に、これは大変なことになってきたな、何としてでも質の高いものにしなければならないという重圧もかかりました。それでもプレッシャーに負けることなく、一つひとつの作業を進めていくことを心がけました。<br />
<br />
作成したポスターについては、たくさんの方々のご協力を得て、県内中心に100枚ほど掲示することができました。富士吉田のいくつものゆかりの場所、東京のゆかりの場所、特に、東高円寺ロサンゼルスクラブと新宿ロフトにも貼っていただいたことには感激しました。宮本慶香さんが撮影し、「Talking Rock!」の吉川尚宏さんに提供していただいた写真をもとに、小林春生(BOSCO)さんにデザインしていただいたあのポスターが非常に好評だったことは、とてもうれしかったです。<br />
<br />
こうしてふりかえってみると、多くの方々が、中には私たちの知らないところで、ご協力、ご支援くださったことに感謝の気持ちが湧いてきます。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7181207848781680643.post-42499186091392781982014-07-20T11:30:00.000+09:002014-08-10T12:05:40.863+09:00展示室1の構成 [展示をふりかえって 1] 今回から数回に分けて、「ロックの詩人 志村正彦展」をご覧になられなかった人のためには概要を説明し、また、ご覧になられた人に対しては展示の意図や準備の過程を伝えたいと思っております。志村正彦フォーラムについても同様に記します。<br />
まずはじめに、準備段階をふりかえり、展示の基本テーマや構成について説明します。<br />
<br />
展示室1は、「志村正彦クロニクル」というテーマで、1980年に生まれてから2009年に亡くなるまでの生涯を10の時期に分けて、壁面にパネルと写真、室内中央の4つのケースに自筆のものを含む重要資料、入り口近くのスペースに愛用ギター3本を展示しました。<br />
<br />
会場については、昨年12月に申し込んだ時点で、すでに一番大きな会場は予約済みでしたので、あの2室しか借りられませんでした。時期は彼の誕生日の週末にすることを決めていたので、日程の変更は検討しませんでした。(あの時点で来場者数が予測できれば、大きな部屋を借りられる別の日を検討すべきだったのでしょうが。これが反省点となりました)<br />
<br />
会場の寸法から、120センチ幅の移動式展示壁が15ユニット設置できる計算となり、そこから簡単な図面を描いて、パネルや写真の配置や寸法を検討しました。その結果、作成するパネルや写真額のサイズをA4に統一することにしました(最終的にはより小さいパネルやキャプションも作りましたが)。A4サイズに文字を印刷するため、できるだけ簡潔な表現にまとめ、1枚あたりの字数を少なくして、文字を大きくしようとしましたが、それでも限界があり、文字は若干小さくなってしまいました。(読みにくかったというご指摘もあり、申し訳ありませんでした)<br />
<br />
また、会場で借りることのできるガラスの展示ケースも5つという制約があり、展示室1では最大で4つしか設置できない見通しになりました。(結局、展示室2にも2つのケースが必要となり、不足した分は別途用意しました)物理的な空間の制約から、自筆資料などの貴重な資料の点数も自ずから限られることになりました。<br />
<br />
私たちは非営利の自発的組織であり、人員はボランティアによって、予算は有志によって集めました。したがって、人員・予算共に限界があり、会場や展示壁・ケース等も借り物なので、物理的制約があります。<br />
しかし、限界と制約があるからこそ、何かを少しでも作り上げていこうというのが、私たちの考え方でした。そのような条件のもとで、来場していただく方々に少しでも満足のいく展示にするのが、最大の課題となりました。志村正彦展甲府実行委員会http://www.blogger.com/profile/11651092976487793622noreply@blogger.com0