次に会場の男性から、「志村正彦 表現の特徴と世界観」を発表していただいた前嶋愛子さんに、一番好きな曲は何ですかというご質問がありました。
前嶋さんからは次のようなお答えがありました。
どれも好きな曲ばかりですが、一曲といえば、「赤黄色の金木犀」です。
日々人の生き死に関わる仕事をしています。志村君は命のはかなさとということをよくわかっていた人ではないかと感じます。だから発表でも申し上げましたが、なくなってしまったものへの気持ちを歌詞の中で語るのではないかと思っています。この曲ではそれを金木犀の香りに託すんですよね。嗅覚は人の五感の中でとても強いもので、感覚として残るといわれています。金木犀は季節も限られますし、たくさんあるものでもないと思いますが、その一瞬を香りに託して歌っている。はかないものへの気持ちを知っている人だなあと、心をいつも揺り動かされます。
私にとっては命のはかなさを感じることが日常であり、日常にしなければやっていけないというところがありますが、時々ふと感情的になったりすることもあるので、そういう時は必ず志村君の曲を聴きたくなります。
次にお話ししてくださったのは、大阪からいらっしゃった女性の方でした。
フジファブリックはメジャーデビューの前の2003年くらいから聞いています。
先日、あるライブであるバンドのボーカルの方がソロで「若者のすべて」をカヴァーしていました。 ライブの後そのボーカルの方は、フジファブリックをあまり知らなくて、この一曲くらいしか知らないと話していたのを耳にしました。
今日の展示で、志村君が歌詞を書き直して完成させたのを見ましたが、伝わっているんだなあと思いました。これからも多くの歌い手の方に志村君の歌を歌っていってほしいと、今日ここに来て強く思いました。
志村さんの歌が歌い継がれていくことはご来場のみなさんの願いでもあるようで、大きな拍手が起こりました。
「ロックの詩人 志村正彦展」(2014.7.12-13)は、1100人を超える来場者に恵まれ、終了しました。ご来場いただいた方、ご協力いただいた方に感謝を申し上げます。
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2014年12月28日日曜日
2014年12月20日土曜日
フォーラム参加者のご発言 1 [フォーラムをふりかえって 7]
四人の発表者にお話ししていただいた後、「志村正彦フォーラム」にご参加いただいた方の中から挙手をしていただいて、お話しをしていただきました。今回から、お話の要約を御報告したいと思います。
最初に手をあげてくださったのは富士吉田出身の女性の方でした。
大学進学を機に地元を離れましたが、自分にとっては山梨、地元の風景が好きにはなれませんでした。2008年の富士吉田ライブで、志村さんとフジファブリックに出会い、聴いているうちに山梨っていいなあと思えるようになりました。それからフジファブリックに何回も救われてきました。
これからも応援していきたいし、志村さんのことばは残っていくと思います。自分自身もネガティブなことばをつかわないでいこうという気持ちになりました。
とても真摯にお話ししていただいたのが印象的でした。
次に同じく富士吉田の男子高校生がお話ししてくださいました。
志村さんの音楽や詩は本当にすばらしい。富士吉田はロクでもないと言うと何だが、田舎で、東京が近いから憧れが強くて、山に囲まれていて閉塞感があって、峠を越えた甲府に対する意識もあって複雑です。志村さんもきっとそういうものを抱えていたと思います。
中学生のとき先生から地元にこんな素晴らしい人がいると志村さんの話を聞きました。でもその時は2010年で志村さんは亡くなっていて、残念だがライブに行くことはできませんでした。志村さんのおかげで富士吉田を誇れるようになったし、いつか地元を離れる時が来ても、いつまでも忘れないでいたいです。
ユーモアをまじえて話していただいて、会場からは笑いが起こりました。
続いて高知出身の男子大学生がご自分の進む道を決めるきっかけとなった、志村さんとの出会いを話してくださいました。
進路に迷って、勉強もしないで、将来を楽観的に甘く考えていました。でも、なんとなく普通のサラリーマンになるのはいやだなあと思っていました、中学三年の時、「桜の季節」のPVを見て衝撃を受けました。自分もプロモーションビデオを作りたくなり、東京の美術大学の映像学科に進学しました。
志村さんに、またPVを作ったスミスさんに出会えていなければ、今の道に進むことはなかったのでとても感謝しています。これからも音楽を聴いて一生ファンでいつづけようと思います。
志村正彦さん、フジファブリックの音楽との出会いが、故郷を新たに見いだしたり、自らの道を見つけたりするきっかけとなったとの話が続きました。
最初に手をあげてくださったのは富士吉田出身の女性の方でした。
大学進学を機に地元を離れましたが、自分にとっては山梨、地元の風景が好きにはなれませんでした。2008年の富士吉田ライブで、志村さんとフジファブリックに出会い、聴いているうちに山梨っていいなあと思えるようになりました。それからフジファブリックに何回も救われてきました。
これからも応援していきたいし、志村さんのことばは残っていくと思います。自分自身もネガティブなことばをつかわないでいこうという気持ちになりました。
とても真摯にお話ししていただいたのが印象的でした。
次に同じく富士吉田の男子高校生がお話ししてくださいました。
志村さんの音楽や詩は本当にすばらしい。富士吉田はロクでもないと言うと何だが、田舎で、東京が近いから憧れが強くて、山に囲まれていて閉塞感があって、峠を越えた甲府に対する意識もあって複雑です。志村さんもきっとそういうものを抱えていたと思います。
中学生のとき先生から地元にこんな素晴らしい人がいると志村さんの話を聞きました。でもその時は2010年で志村さんは亡くなっていて、残念だがライブに行くことはできませんでした。志村さんのおかげで富士吉田を誇れるようになったし、いつか地元を離れる時が来ても、いつまでも忘れないでいたいです。
ユーモアをまじえて話していただいて、会場からは笑いが起こりました。
続いて高知出身の男子大学生がご自分の進む道を決めるきっかけとなった、志村さんとの出会いを話してくださいました。
進路に迷って、勉強もしないで、将来を楽観的に甘く考えていました。でも、なんとなく普通のサラリーマンになるのはいやだなあと思っていました、中学三年の時、「桜の季節」のPVを見て衝撃を受けました。自分もプロモーションビデオを作りたくなり、東京の美術大学の映像学科に進学しました。
志村さんに、またPVを作ったスミスさんに出会えていなければ、今の道に進むことはなかったのでとても感謝しています。これからも音楽を聴いて一生ファンでいつづけようと思います。
志村正彦さん、フジファブリックの音楽との出会いが、故郷を新たに見いだしたり、自らの道を見つけたりするきっかけとなったとの話が続きました。
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