「ロックの詩人 志村正彦展」(2014.7.12-13)は、1100人を超える来場者に恵まれ、終了しました。ご来場いただいた方、ご協力いただいた方に感謝を申し上げます。
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2014年11月18日火曜日
鈴木亮介さんの発表「志村正彦-軽音部・賢治・青春-」[フォーラムをふりかえって 6]
続いて「WebロックマガジンBEEAST」副編集長の鈴木亮介さんにお話をしていただきました。鈴木さんは直接フジファブリックの取材をなさったことはないとのことでしたが、最近の高校生のバンド活動への志村さんの影響を始めとして、多様な観点からお話ししてくださいました。
高校生、10代のみなさんのバンド活動について取材していると、今は軽音部が大変隆盛だと感じます。中には100人を超えるような部もある。昔は軽音部というと不良の溜まり場といったイメージが強かったと思いますが、今はそんなことはありません。
顧問の先生も名ばかりではなく実際に技術を教えられる方がたくさんいますし、機材や練習場所やバンドをやっているといろいろお金がかかりますが、学校の部活ならそれが無料で使えます。そんなわけで楽器をやるという間口はとても広くなっていて、一年生の時はひたすら基礎練習、目標は大会で優勝することというまるで体育会系のような状況も生まれています。
そんな中でフジファブリックは人気のバンドの一つです。でもみんながキャアキャア騒いでいる感じではなくて、ミーハーより本格志向、軽音部の中では割と地味で、技術があるそんなバンドがコピーをしていることが多いように見えます。
さて、バンドをやりたい若者にとって、かつてないほど間口が広がって、恵まれた状況なわけですが、だからといって、よい音楽が生まれ、ロックスターが出てくるかというと、逆なわけです。志村さんが軽音部で、部活の仲間と練習しているっていうのはちょっと想像できないですよね。物があったり教える先生がいたり気軽に始められたりという豊かな環境があればいいというわけでもなくて、制限された中でいろいろなハードルがあったりするほうがむしろ素晴らしい音楽が生まれてくるような気がします。
ここからはほんとうにファンとしての思いになってしまいますけれども、志村さんの音楽に対する原動力とはいったいなんだろうと思います。今日展示を見ていて、宮沢賢治とリンクするような気がしました。宮沢賢治も37歳の若さで亡くなって、賢治の方がもっと不遇な状況で、生前に一冊しか本が出せなくて死んでから評価されたですけれども。賢治も一つのセンテンス、ワンフレーズ、一つのことばを何度も何度も消したり書き直したりした跡が原稿に残っているんですね。そのへん志村さんの詩の作り方と通ずるとことがあると思いました。
志村さんがこの時代にここまで徹底して一つ一つのことばにストイックに向かい合ったというのは稀有なことかなと思います。結局その原動力とは何かはよくわからないんですが、それは簡単にわかるようなことではなくて、何か内側から湧き上がってくるもの、天から与えられた才能なのかなと思ったりもしました。
中国に五行説というのがありまして、「青春」というのはみなさんよくご存じだと思いますが、実は人生を4つの季節になぞらえたもので、自我が確立する16歳くらいから30歳までを「青春」、30~40歳を「朱夏」、40~50歳を「白秋」、50歳以降を「玄冬」と言います。 五行の五番目は土に還る、つまり死を意味します。
そんなライフステージを考えると、志村さんは「青春」の間を生き抜いて残念ながら人生を終えてしまったわけですが、もし今生きて次のステージに入っていたらどんな歌を作っていただろうと思うと、想像するだけで楽しみな気がします。
人が死んだあとに何が残るかというと、亡くなって数十年は関係した人達の記憶に残るかもしれませんが、徐々に忘れられていって、そのあとに残るのはことばだと思います。ことばというのは、もう少し広く解釈して絵画とか、彫刻とか、写真とか、音楽とかも含めていいかもしれません。松尾芭蕉は人は儚く、永遠と思われる山河のような自然も姿を変える。残るものはことばであると言っています。
そういう意味で、今回志村さんのことば、詩の世界に着目したこのイベントはとても良い場だったと思います。
鈴木さんの御発表は、高校生の軽音部の活動への言及、志村さんと宮沢賢治の詩の作り方の類似性の指摘、中国の五行説による考察など、ジャーナリストらしい目配りのきいた、とても充実したものでした。
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