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2014年8月9日土曜日

『若者のすべて』草稿について [展示をふりかえって 9]

 「ロックの詩人 志村正彦展」の中で最も貴重な展示資料は、『若者のすべて』草稿ノートでした。この資料の存在を知り、その本文を読んだ時から、この草稿を中心に、「ロックの詩人」としての志村正彦を展示するという計画が動き出しました。

 この『若者のすべて』草稿と完成作品を比較検討すると、志村正彦の創作過程が浮かび上がってきます。簡潔にまとめると、次の4点になります。(展示パネルで公開した文を要約したものです)

1.「最後の花火」とそれに関連するモチーフが全くない。
2.時間の設定が異なる。草稿は「七月の今日」、完成作は「真夏のピークが去った」頃である。
3.サビ「ないかな ないかな きっとね いないよな」から始まる構成であり、サビ自体にも違いがある。
4.その他完成作と異なる、いくつかの表現やモチーフがある。

 この草稿はすでにある言葉の水準に達していて、『若者のすべて』完成作につながる世界を充分に表現していました。
 草稿というと未完成、未熟なものという消極的、否定的評価もありますが、企画担当者は幾つかの観点から、この草稿の価値を高く評価しました。

・この草稿はある詩的世界を形成していて、独自の価値を持っている。それゆえに、志村正彦の評価を貶めるようなものでは全くないこと。
・完成作は、草稿の表現内容をさらに高度な水準に変化させている。志村正彦は歌詞を何度も書き直したことが知られているが、その推敲過程を、実際の資料で検証できるものとして、第1級の資料価値があること。
・志村正彦が大切に保管していたと思われる資料群の中から発見された手書きの資料であり、本人もかなりの愛着を持っていた資料だと推測されること。
・ワープロで作詞することが多い時代において、自筆の資料が遺されていこと自体がある意味で奇蹟であること。

 以上のような観点から、この草稿を公開することが、志村正彦という「ロックの詩人」の理解を深めるために重要であると考えました。

 しかし、草稿を公開するために、「著作者人格権」上の「公表権」にどう対応するのかという課題が生じます。「公表権」を簡潔に説明すると、未公表の著作物を発表・公開する権利のことで、著作者人格権により、著作者本人のみが所有するものです。問題は、著作者が亡くなった場合です。死後遺された作品を誰がどのような権利で公表できるのかという問題が生じます。現在、著作者没後の場合、著作者人格権についても、著作権の継承者である家族が一定の範囲内でその権利も継承するというのが国際的に合理的な考え方のようです。

 今回は、そのために、志村正彦氏のご家族に、この草稿の公開の意図と展示方法の概要を説明したところ、今回の展示室内で来場者が閲覧する形に限定して、公開することを承諾していただきました。ご家族の愛情と深慮に満ちた適切なご判断だと思われました。(この場をお借りして、あらためて深く感謝を申し上げます。)そのような経緯から、展示室での撮影は(その他の資料も含めて)禁止とさせていただきました。

 展示についてどのような方法がいいのか、最後の最後まで悩みました。本来なら、この草稿ノートのみを展示すればいいのですが、場所と期間を限定した公開であり、閲覧自体もそれほど時間をかけられないことから、企画担当者側からの「ひとつの仮説」を提示し、パネルをある程度の数用意することで、草稿に向き合う視点のひとつを提供し、みなさまの鑑賞や議論の土台となればいいと考えました。
 当初は数倍書いた説明文を削りに削り、できるだけ簡潔に分かりやすく記述することに心がけました。草稿関連の展示パネルがようやく完成したのは前日のことでした。
 以上のような経緯と考え方により、展示室2での『若者のすべて』草稿関連の展示があのような形となりました。

 アンケートなどを読む限り、『若者のすべて』草稿の展示については肯定的評価がほとんどでした。ご覧になった方々の反応は何よりも、このような草稿が遺されていたことに対する「驚き」という一点に集約されます。そして、志村正彦の創作過程の具体的姿に触れることができ、歌詞を読み直す契機となったという感想も多く寄せられました。企画担当者としては、草稿展示の意図を理解していただいたようで、有り難く思いました。

 『若者のすべて』草稿は、あの展示室で閲覧していただいた方の「記憶」の中にのみ存在しています。上記の経緯から、この公式web上でもこの草稿本文の公開はできません。そのような事情をどうかご理解ください。(当然ですが、企画展担当者も例外ではありません。個人としてもあの草稿の本文に言及することは一切ありません)

 これはあくまで企画担当者の個人的意見ですが、『若者のすべて』草稿が公開されるとしたら、信頼できる出版社から信頼できる書物によって公刊する形で公開されることが望ましいと考えます。その上で、志村正彦の聴き手が各々自由に、この草稿を読み、この草稿について考える時が訪れることを願っています。

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