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2015年3月29日日曜日

フォーラムの閉会 [フォーラムをふりかえって 13]

 フォーラムの最後に実行委員長からのご挨拶がありました。

 皆様今日はありがとうございました。
 全国からご来場いただき、また展示を見るために長時間、2時間くらい待っていただいた方もいると思うんですが、ありがとうございます。
 なにより今日のこの展示・フォーラムは志村さんのご両親、ご家族の全面的な支援によって行うことができました。心から感謝しております。


 一言だけ言いたいのですが、僕は志村さんの作品は百年後に残ると思っています。百年後、日本語の歌を振り返った時に志村正彦、フジファブリックの名前が出てくると。

 僕らがこんなつたない展示や活動をしなくても、絶対残るとは思うんですが、それでも、どう残るかという問題はあると思います。ここにいらした熱心な方々を含めて、どうやって残していくか。それにはやはり語り合うのはとてもいいことだと思うんです。みなさんブログとかtwitterとかいろいろなことばがあって、僕も結構読ませていただいていますが、これからもいろいろなことばで彼の作品を語っていくことが大事だと思います。そのためのフォーラムで、この活動が少しでもそのためになればいいと思っています。
 今日は本当にありがとうございました。


 参加者のみなさんにアンケートのお願いをし、受付でささやかなプレゼントとして今回の「ロックの詩人 志村正彦展」のB2版ポスターをお渡ししてフォーラムはお開きになりました。

 お話しをしてくださった方々、コメントを寄せてくださった方々、会場からご発言いただいた方々、みなさんが志村正彦さんと彼の歌を大切に思う気持ちが伝わり、会場も一体となって笑ったり涙したり、とても心温まるフォーラムとなりました。
 

2015年3月22日日曜日

フォーラム参加者のご発言 6 [フォーラムをふりかえって 12]

  フォーラム参加者のご発言の最後に、富士吉田の男性の方がお話ししてくださいました。


 私は志村正彦君のお父さんとご近所の知り合いで、正彦君と言うより「まーちゃん」ということでおつきあいさせていただいていました。フジファブリックという名前がいろいろなところに載っているのを見かけるようになって、「ああ、これはあのまーちゃんかな」と思っていました。家内はまーちゃんが小さい頃抱っこしたこともあって、今となっては稀有な経験だったと思っています。この会場には抱っこした方はいらっしゃらないと思うので。

 仕事場が志村家の菩提寺のそばにありまして、数年前はあの辺りで困った風なお嬢さんを見かけて、正彦君の眠っているところへ何人かご案内したり、「お花屋さんがありませんか」と尋ねられて、代わりにお供えするお花を買ってきてあげたというようなこともありました。

 歌詞のことですが、私もものを作る仕事をしておりますので、なぜああいう歌詞が生まれたかと言いますと、正彦君が生まれて育まれた環境だと思うんです。何かを作るということには環境ということに左右されると思うんですよ。先ほど富士吉田市がろくでもないというお話しがありましたが、これから歌詞が生まれてきた環境について研究して、機会がありましたら先ほどの方とお話ししてみたいと思います。

 
 幼い日の志村正彦さんをご存じの方からの温かいことばで、会場は何度も笑いが起きていました。「富士吉田はろくでもない」と発言した高校生は頭をかきながら、会が終わった後、楽しそうにお話しなさっていました。

 まだお話ししたい方もいらしたかもしれませんが、あっという間に予定の時間が過ぎ、参加者からのご発言は以上で終わらせていただきました。