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2014年7月27日日曜日

初公開の写真 [展示をふりかえって 5]

 展示室1では、志村正彦の生涯をふりかえるために、彼自身の言葉を「志村語録」というパネルにして展示しました。出典は、展示室2の分を含めて、著書『東京、音楽、ロックンロール 完全版』、雑誌『音楽と人』『Talking Rock!』『H』等です。株式会社トーキングロック、株式会社 音楽と人、株式会社ロッキング・オンからは事前に許諾を得ました。どの社もとても協力的で、ありがたかったです。志村正彦、フジファブリックに対するリスペクトが感じられました。

 語録は、志村正彦の人生と作品を解き明かす鍵となるような言葉を選びましたが、スペースの制約から、当初予定の半分ほどの数となりました。また、アビーロードスタジオでの出来事や本人が語った4枚のアルバムのテーマについては解説パネルも作りました。

  写真については、志村家所蔵の写真、所属事務所の株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ、(株)ロフトプロジェクトからご提供のものを使用でき、「クロニクル」に相応しい質と量が備わりました。改めて感謝を申し上げます。

 初公開の写真も含まれていました。中でも、2009年12月23日の日付の写真、志村さんの笑顔の表情を伝える写真2点はこれまで見ることのできなかったものでした。(小さな写真をスキャンしてかなり拡大したもので、画像が粗いものでしたが、ご了承ください)

 写真の中の志村正彦はほんとうに楽しそうに笑っています。私たち企画担当者は、写真の快活な笑顔から、これからの活動に向けた彼の夢や希望のようなものも感じました。明くる年2010年には、新アルバムや「フジフジ富士Q」ライブが予定され、志村正彦、フジファブリックにとって大きな大きな飛躍の年となるはずでした。しかし、その翌日24日に、原因不明の身体の異変で突然、29年の生涯が閉じられてしまいました。

 この写真はプライベートなものであり、ご家族にとってはとても大切なものです。ですが、 私たちは、その姿を彼を愛するファンの方々に見ていただきたいと考え、是非にとお願いしました。そして、経緯や細かい説明を省いて、「2009年12月23日」というクレジットのみで展示することになりました。

 展示室1は、この写真を最後の展示にする構成としました。
 2009年12月24日に志村正彦の人生は閉じられましたが、その日以降も、志村正彦の作品は現在そして未来の聴き手に永遠に開かれ、存在し続けます。そのような祈りを込めました。

2014年7月26日土曜日

ご両親・ご友人・恩師の言葉 [展示をふりかえって 4]

 展示室1には、ご両親、ご友人、恩師、の5人の方々から寄せていただいた思い出話をパネルにして展示しました。これまで発言されることはなかった方々の証言が含まれます。来場者も熱心に一つひとつ読んでいました。今回はその一部を紹介させていただきます。

 小学校以来の友人で「富士ファブリック」のメンバーだった渡辺平蔵さんは、「正彦の歌を聴いていると、幼い頃から一緒に過ごした風景を感じることがよくあります」と述べ、「正彦は『努力と研究の天才』だったと思います」「研究の対象を見つける感性があって、自分でそれをとことん研究して消化していきます」「音楽CDをたくさん持っていていましたし、その他にも、本、映画、ドラマからも何かを得て、自分のものとして取り込んでいました」と語ってくださいました。
 同じく友人で「富士ファブリック」のメンバー小俣梓司(おまたしんじ)さんは、「普通の男子高校生が普通に遊んでいる感じ」と高校時代のバンド活動について触れ、「誰しもが若かりし頃、共通の趣味を媒介としてその趣味以外のことを含め、人と友情を築いていくのと同じように、私たちは『富士ファブリック』というものを媒介として普通に、そしてただ無邪気に遊んでいたように思えます」とふりかえり、「私にとってその時間は今でもとてもかけがえのない大切なものです」と書いてくださいました。
 富士吉田そして東京で、少年期から青年期にかけての時間を共有した友にしか見えない志村さんの姿があったのでしょう。志村さんに対する深い理解と愛情が込められたコメントでした。志村さんが「幼馴染み」バンドへのあこがれを繰り返し述べてきたこともうなずけます。

 高校3年生の時のクラス担任の赤池宏己先生は、「多くを語らないが、はにかんだ笑顔とくっきりと澄んだまなざしに、意志の強さを感じました」と志村さんを描き、三者面談の際に「卒業後の進路を打ち明けられたとき、それを否定する理由はありませんでした。その時の彼はさすがに神妙な面持ちでしたが、担任の立場よりも私個人の思いとして、夢を追いかけてほしいと願ったことを覚えています。」と書いてくださいました。
 自身も美術の教師であり、絵画を創作している赤池先生は、音楽の道を進む志村さんに対して、芸術の道に生きることの厳しさを乗り越えていく意志と力を感じとっていたのでしょう。

 母妙子さんに語っていただいた正彦さんの上京前の様子、自炊のために料理を習ったり、家の中や近くの道、富士吉田の街や自然を慈しむように眺めていたりした姿からは、志を抱いて故郷を後にする決意と、家族や周囲への愛情が表れていました。ご家族がそれを静かに見守っていた様子も感じられました。
 父清春さんは、高校入学の頃、甲府の岡島百貨店でギターを初めて購入したときのエピソードをお話ししてくださいました。正彦さんがアルバイト代で払うと買ってきたギブソンのレスポールスペシャル。本人は3万8000円と言っていたが、後になって月々3万8000円の10回払いだったと知ったこと、約束通りアルバイトをして払いきったこと、それだけ音楽に真剣だったのだろうとふりかえっていらっしゃいました。

 志村さんを身近で見ていらっしゃたご両親、ご友人や恩師の言葉は、プロのミュージシャンになる以前の志村正彦を浮かび上がらせる重要な証言でした。ご多忙のところ、貴重な言葉を寄せていただき、この場をお借りして改めて、感謝を申し上げます。

2014年7月25日金曜日

志村正彦クロニクル [展示をふりかえって 3]

 展示室1は、「クロニクル」と題した解説パネルによって、志村正彦の生涯を10の時期に分けて展示しました。志村正彦、フジファブリックに対する予備知識がない方にとっても分かりやすいものとなるように工夫しました。生涯の区分と各々の名称は次の通りです。

 1.誕生・幼少年期 【クロニクル1】
 2.中学・高校時代  【クロニクル2】
 3.上京・アマチュア時代  【クロニクル3】
 4.富士ファブリック[2000-2001] 【クロニクル4】
 5.フジファブリック[2001-2002] 【クロニクル5】
   6.メンバーの過渡期 [2002-2003]【クロニクル6】
   7.2004年・メジャーデビュー 【クロニクル7】 

 8.2005年-2006年  【クロニクル8】
   9.2007年-2008年 【クロニクル9】
  10.2009年・急逝 【クロニクル10】

 壁面を中心に、志村さんの肖像写真やフジファブリックのライブ写真、富士吉田ゆかりの場の写真など50点程、ご友人・恩師・ご両親のコメントを掲載したパネル5点、「志村語録」と名づけた彼自身の言葉を引用したパネル20点程、その他キャプションを掲示しました。志村正彦の生涯を簡潔にしかし丁寧にたどるという目的のためには、あの位の数量のパネルや写真は必要だと考えていました。
 (来場された皆さまに一字一句丁寧にご覧いただいたことで、結果として、一人ひとりの閲覧時間が私たちの想定を超え、なかなか前に進めない、入場できないという状況になり、ご迷惑をおかけしました。そのあたりの「読み」が甘かったと痛感しました。実行委員会の代表者は山梨県立文学館で常設展や「生誕百年記念 芥川龍之介展」等の企画展をいくつか担当しましたが、来場者がこれだけ熱心に時間をかけて一つ一つの資料、パネル等に接する経験はほとんどありませんでした。来場された皆さまの志村正彦、フジファブリックに対する想いの深さによって、「ロックの詩人 志村正彦展」は希有な展示会となったように思います)                    

 部屋の中央にはガラスの展示ケース4台を配置し(1日目はそのうち2台を壁面につけていましたが、スムーズな動線とするために、2日目に中央に移動しました)。
 ケース1に幼少年期の資料(保育園卒園時の手形や本人の言葉、小学校時代の学級通信、手製のパズル、応援歌とするために作詞した「学園天国」の替え歌など)、ケース2に新宿ロフト時代の資料(赤富士通信、本人手書きのライブアンケート用紙、自筆サインなど)、ケース3にメジャー時代の資料(彼が愛用した「SHIMURA」と記入されたマイク、「ダンス2000」の自筆歌詞カード、本人が実際に使ったオリジナルピックなど)、そしてケース4には志村正彦在籍時のフジファブリックのCD・DVD等の全作品(一部のシングルを除く)、著書『東京、音楽、ロックンロール』や楽譜を展示しました。

 壁面には、高校3年時の担任、赤池宏己先生による18歳の志村正彦の肖像画、柴宮夏希さんが描いたCD『フジファブリック』ジャケット用の別案の原画、四人囃子との対バンライブのグッズの「手ぬぐい」も額に入れて飾りました。
 入り口から入って右側のスペースには、愛用のギター3本(高校時代、甲府の岡島百貨店にあった新星堂ロックイン甲府店で購入したレスポール・スペシャルなど)を並べて展示しました。
 なお、出口近くのモニターで、フジファブリックのドキュメンタリー映像を流したのですが、あまりにも混雑してしまったたために、途中で停止させていただきました。(ご覧になりたかった人にはお詫び申し上げます)

2014年7月21日月曜日

広報とポスター [展示をふりかえって 2]

 「ロックの詩人 志村正彦展」は、初公開の資料、写真、コメントなどが含まれていましたが、そのことを含め、展示内容の詳細を事前に伝えることはあえてしませんでした。当日、いらっしゃる方々の出会いと発見を大切にしたいと思いました。「初公開」という話題性で来場者を増やすのは、何となく、志村正彦展らしくないなという気持ちもありました。

 広報についても、基本的にはこのwebを通して行うだけでした。「偶景web」の読者を中心に、SNSを通して少しずつ広まっていく感じでした。そのような流れの中で、ほんとうに思いがけなく、フジファブリックの公式サイトとナタリーでご紹介いただきました。とてもありがたく、恐縮しました。公式webのアクセス数、フォーラムの申込数共に、非常な勢いで伸びてきました。
 そのことは励みともなりましたが、同時に、これは大変なことになってきたな、何としてでも質の高いものにしなければならないという重圧もかかりました。それでもプレッシャーに負けることなく、一つひとつの作業を進めていくことを心がけました。

 作成したポスターについては、たくさんの方々のご協力を得て、県内中心に100枚ほど掲示することができました。富士吉田のいくつものゆかりの場所、東京のゆかりの場所、特に、東高円寺ロサンゼルスクラブと新宿ロフトにも貼っていただいたことには感激しました。宮本慶香さんが撮影し、「Talking Rock!」の吉川尚宏さんに提供していただいた写真をもとに、小林春生(BOSCO)さんにデザインしていただいたあのポスターが非常に好評だったことは、とてもうれしかったです。

 こうしてふりかえってみると、多くの方々が、中には私たちの知らないところで、ご協力、ご支援くださったことに感謝の気持ちが湧いてきます。

2014年7月20日日曜日

展示室1の構成 [展示をふりかえって 1]

 今回から数回に分けて、「ロックの詩人 志村正彦展」をご覧になられなかった人のためには概要を説明し、また、ご覧になられた人に対しては展示の意図や準備の過程を伝えたいと思っております。志村正彦フォーラムについても同様に記します。
 まずはじめに、準備段階をふりかえり、展示の基本テーマや構成について説明します。

 展示室1は、「志村正彦クロニクル」というテーマで、1980年に生まれてから2009年に亡くなるまでの生涯を10の時期に分けて、壁面にパネルと写真、室内中央の4つのケースに自筆のものを含む重要資料、入り口近くのスペースに愛用ギター3本を展示しました。

 会場については、昨年12月に申し込んだ時点で、すでに一番大きな会場は予約済みでしたので、あの2室しか借りられませんでした。時期は彼の誕生日の週末にすることを決めていたので、日程の変更は検討しませんでした。(あの時点で来場者数が予測できれば、大きな部屋を借りられる別の日を検討すべきだったのでしょうが。これが反省点となりました)

 会場の寸法から、120センチ幅の移動式展示壁が15ユニット設置できる計算となり、そこから簡単な図面を描いて、パネルや写真の配置や寸法を検討しました。その結果、作成するパネルや写真額のサイズをA4に統一することにしました(最終的にはより小さいパネルやキャプションも作りましたが)。A4サイズに文字を印刷するため、できるだけ簡潔な表現にまとめ、1枚あたりの字数を少なくして、文字を大きくしようとしましたが、それでも限界があり、文字は若干小さくなってしまいました。(読みにくかったというご指摘もあり、申し訳ありませんでした)

 また、会場で借りることのできるガラスの展示ケースも5つという制約があり、展示室1では最大で4つしか設置できない見通しになりました。(結局、展示室2にも2つのケースが必要となり、不足した分は別途用意しました)物理的な空間の制約から、自筆資料などの貴重な資料の点数も自ずから限られることになりました。

 私たちは非営利の自発的組織であり、人員はボランティアによって、予算は有志によって集めました。したがって、人員・予算共に限界があり、会場や展示壁・ケース等も借り物なので、物理的制約があります。
 しかし、限界と制約があるからこそ、何かを少しでも作り上げていこうというのが、私たちの考え方でした。そのような条件のもとで、来場していただく方々に少しでも満足のいく展示にするのが、最大の課題となりました。

2014年7月16日水曜日

「志村正彦」「フジファブリック」という存在の大きさ

 「ロックの詩人 志村正彦展」は2日間で1150人程の来場者を迎え、「志村正彦フォーラム」も200席がほぼ満席という大盛況のうちに終了いたしました。これもご来場いただいた皆様、ご協力いただいた皆様のおかげと、深く感謝しております。

 この2日間を通して、 あらためて「志村正彦」「フジファブリック」という存在の大きさと、彼に寄せる多くの方々の想いの強さを感じました。

 今後、準備ができ次第、簡単ではありますが、展示、フォーラムの内容を御報告していきたいと考えています。

 また、展示室、フォーラムで、3種類のアンケートをご用意いたしましたが、当日時間がなく書けなかったが届けたいという声をいただいております。そういう方は、フォーラム申し込みと同じアドレスにお送りいただければと存じます。その際「志村正彦へのメッセージ」「展示」「フォーラム」のどれかを記載していただければ幸いです。よろしくお願いします。

2014年7月14日月曜日

「ロックの詩人 志村正彦展」終了しました。

 日があらたまってしましましたが、昨日「ロックの詩人 志村正彦展」終了いたしました。二日間にわたりたくさんの皆様にご来場いただき、本当にありがとうございました。

  小さな会場でしたので、入室まで2時間以上お待ちいただくような状態で、大変申し訳なく思っております。にもかかわらず、ご来場の皆様がマナーよく対応してくださり、心より感謝しております。今回の内容については、またあらためてレポートを掲載していきますので、ご覧になって下さい。
 

  最後になってしまいましたが、今回の展示・フォーラムに際して、志村正彦さんのご家族をはじめ、たくさんの皆様にご協力をいただきました。この場をお借りしてあらためて御礼申し上げます。

2014年7月12日土曜日

「ロックの詩人 志村正彦展」1日目終了

「ロックの詩人 志村正彦展」1日目が終了しました。入場数は650人程度。皆様、一つひとつの資料、写真、パネル等を時間をかけて丁寧にご覧いただきました。そのため、入場までに1,2時間かかるという状況になり、ご迷惑をおかけしました。館内は冷房が効いていますが、水分補給にご注意ください。
本日の終了後、展示ケース等の配置換えを行い、動線を工夫しました。入場の仕方も改善したいと考えております。それでも明日も混雑が予想されますので、あらかじめご了承ください。
ご来場される方は、道中気をつけてお越しください。

フォーラム、キャンセル待ち等の対応について

「志村正彦フォーラム」の受付を終了しましてから、立ち見、キャンセル待ち、当日受付などのお申し出が多数寄せられております。熱心な皆様には大変申し訳ありませんが、今回は会場も混雑が予想され、そのような対応はできません。また、本日からはメールにお返事することもできませんので、あしからずご了承下さい。

いよいよ本日開催です

 「ロックの詩人 志村正彦展」、いよいよ本日12時より開催です。
 ここに至るまで、数多くの皆様にお世話になりました。心から感謝しております。
 今日と明日、会場に足を運んでくださる皆様、台風一過、甲府は暑いと思われます。お体には充分気をつけて、志村正彦展を楽しんでいっていただければ、たいへんうれしいです。
 では、会場でお待ちしております。

2014年7月10日木曜日

志村正彦の誕生日に

今日、7月10日は志村正彦の誕生日。彼が元気であれば、34歳を迎える日でした。ネットでも誕生を祝う言葉が相次いでいました。
そのような日に、私たちはずっと展示のパネルを作成していましたが、先ほどようやく完成しました。明日から明後日の午前までの一日半で、資料・楽器や写真・パネルの飾り付けをします。

心配していた台風も明日の朝には通り過ぎるようで、「TAIFU」の歌詞の一節「想像に乗ってゆけ もっと足早に先へ進め」と、志村さんに押されるようにして、何とか、12日と13日の志村正彦展を成功させたいと思います。

皆様のご来場をお待ちしております。

2014年7月7日月曜日

2014年7月6日日曜日

「志村正彦フォーラム 」参加者の皆さんへ


先ほど詳細について一斉にメールを送信しました。メールが届かない方は、お手数ですが申し込みしたのと同じアドレスにお知らせください。

2014年7月4日金曜日

「志村正彦フォーラム」の受付を終了しました

  おかげさまで「志村正彦フォーラム」は当初の予定人数に達しましたので、申し込みを締め切らせていただきます。多数のお申し込みありがとうございました。

  なお、お申し込みいただいた方には、近日中に詳細をメールでお送りいたします。

この場を借りてご連絡します

 昨日7月3日午前10時頃、「志村正彦フォーラム」の受付完了メールが届かない旨お知らせいただいた方にご連絡いたします。7月1日に確かに受付いたしております。その際にも、昨日もこちらから返信のメール、また昨日はご確認のメールを差し上げましたが、どうもそちらには届かないようなので、この欄を使ってご連絡させていただいています。
 近日中に詳細のメールをお送りする予定ですので、パソコンのメールアドレス、もしくはフリーメールなどをご利用になって、もう一度実行委員会までご連絡いただければと存じます。よろしくお願いします。
 

2014年7月3日木曜日

観光情報

 甲府の周辺観光やグルメ情報も知りたいというお問い合わせが来ましたので、簡単ですがお知らせします。

 山梨県立図書館のある甲府駅北口周辺は以前に書きましたのでそちらをご覧ください。 駅から少し離れますが、山梨県立美術館 、山梨県立文学館(どちらも芸術の森公園内に建っています)も興味のある方にはお勧めです。
 

 美術館はミレーなどバルビゾン派のコレクションがたいへん充実しており、県内外からの来場者が多いです。文学館は芥川龍之介のコーナーのほか、太宰治、樋口一葉、飯田蛇笏・龍太など山梨ゆかりの文学者の展示があります。公園の庭にはさまざまな彫刻、モニュメントなども観られます。
  甲府駅南口からバスが出ています。15分くらいです。

 甲府、山梨のグルメというと「ほうとう」とB1グランプリを獲得した「鳥モツ」でしょうか。
「ほうとう」はゆでてない平打ちの うどんを野菜と一緒にみそで煮込んだもので、家庭料理なので、山梨県民はあまりお店で食べることはありません。 甲府駅の北口にも南口にも「ほうとう」を食べられる店はあります。
 鳥モツは蕎麦屋さんで食べられます。これも駅周辺にいくつかあります。