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2014年7月26日土曜日

ご両親・ご友人・恩師の言葉 [展示をふりかえって 4]

 展示室1には、ご両親、ご友人、恩師、の5人の方々から寄せていただいた思い出話をパネルにして展示しました。これまで発言されることはなかった方々の証言が含まれます。来場者も熱心に一つひとつ読んでいました。今回はその一部を紹介させていただきます。

 小学校以来の友人で「富士ファブリック」のメンバーだった渡辺平蔵さんは、「正彦の歌を聴いていると、幼い頃から一緒に過ごした風景を感じることがよくあります」と述べ、「正彦は『努力と研究の天才』だったと思います」「研究の対象を見つける感性があって、自分でそれをとことん研究して消化していきます」「音楽CDをたくさん持っていていましたし、その他にも、本、映画、ドラマからも何かを得て、自分のものとして取り込んでいました」と語ってくださいました。
 同じく友人で「富士ファブリック」のメンバー小俣梓司(おまたしんじ)さんは、「普通の男子高校生が普通に遊んでいる感じ」と高校時代のバンド活動について触れ、「誰しもが若かりし頃、共通の趣味を媒介としてその趣味以外のことを含め、人と友情を築いていくのと同じように、私たちは『富士ファブリック』というものを媒介として普通に、そしてただ無邪気に遊んでいたように思えます」とふりかえり、「私にとってその時間は今でもとてもかけがえのない大切なものです」と書いてくださいました。
 富士吉田そして東京で、少年期から青年期にかけての時間を共有した友にしか見えない志村さんの姿があったのでしょう。志村さんに対する深い理解と愛情が込められたコメントでした。志村さんが「幼馴染み」バンドへのあこがれを繰り返し述べてきたこともうなずけます。

 高校3年生の時のクラス担任の赤池宏己先生は、「多くを語らないが、はにかんだ笑顔とくっきりと澄んだまなざしに、意志の強さを感じました」と志村さんを描き、三者面談の際に「卒業後の進路を打ち明けられたとき、それを否定する理由はありませんでした。その時の彼はさすがに神妙な面持ちでしたが、担任の立場よりも私個人の思いとして、夢を追いかけてほしいと願ったことを覚えています。」と書いてくださいました。
 自身も美術の教師であり、絵画を創作している赤池先生は、音楽の道を進む志村さんに対して、芸術の道に生きることの厳しさを乗り越えていく意志と力を感じとっていたのでしょう。

 母妙子さんに語っていただいた正彦さんの上京前の様子、自炊のために料理を習ったり、家の中や近くの道、富士吉田の街や自然を慈しむように眺めていたりした姿からは、志を抱いて故郷を後にする決意と、家族や周囲への愛情が表れていました。ご家族がそれを静かに見守っていた様子も感じられました。
 父清春さんは、高校入学の頃、甲府の岡島百貨店でギターを初めて購入したときのエピソードをお話ししてくださいました。正彦さんがアルバイト代で払うと買ってきたギブソンのレスポールスペシャル。本人は3万8000円と言っていたが、後になって月々3万8000円の10回払いだったと知ったこと、約束通りアルバイトをして払いきったこと、それだけ音楽に真剣だったのだろうとふりかえっていらっしゃいました。

 志村さんを身近で見ていらっしゃたご両親、ご友人や恩師の言葉は、プロのミュージシャンになる以前の志村正彦を浮かび上がらせる重要な証言でした。ご多忙のところ、貴重な言葉を寄せていただき、この場をお借りして改めて、感謝を申し上げます。

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