フォーラム参加者のご発言の最後に、富士吉田の男性の方がお話ししてくださいました。
私は志村正彦君のお父さんとご近所の知り合いで、正彦君と言うより「まーちゃん」ということでおつきあいさせていただいていました。フジファブリックという名前がいろいろなところに載っているのを見かけるようになって、「ああ、これはあのまーちゃんかな」と思っていました。家内はまーちゃんが小さい頃抱っこしたこともあって、今となっては稀有な経験だったと思っています。この会場には抱っこした方はいらっしゃらないと思うので。
仕事場が志村家の菩提寺のそばにありまして、数年前はあの辺りで困った風なお嬢さんを見かけて、正彦君の眠っているところへ何人かご案内したり、「お花屋さんがありませんか」と尋ねられて、代わりにお供えするお花を買ってきてあげたというようなこともありました。
歌詞のことですが、私もものを作る仕事をしておりますので、なぜああいう歌詞が生まれたかと言いますと、正彦君が生まれて育まれた環境だと思うんです。何かを作るということには環境ということに左右されると思うんですよ。先ほど富士吉田市がろくでもないというお話しがありましたが、これから歌詞が生まれてきた環境について研究して、機会がありましたら先ほどの方とお話ししてみたいと思います。
幼い日の志村正彦さんをご存じの方からの温かいことばで、会場は何度も笑いが起きていました。「富士吉田はろくでもない」と発言した高校生は頭をかきながら、会が終わった後、楽しそうにお話しなさっていました。
まだお話ししたい方もいらしたかもしれませんが、あっという間に予定の時間が過ぎ、参加者からのご発言は以上で終わらせていただきました。
「ロックの詩人 志村正彦展」(2014.7.12-13)は、1100人を超える来場者に恵まれ、終了しました。ご来場いただいた方、ご協力いただいた方に感謝を申し上げます。
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2015年3月22日日曜日
2015年2月8日日曜日
フォーラム参加者のご発言 5 [フォーラムをふりかえって 11]
次に発言された女性の方からは、音楽業界で仕事をなさっている樋口寛子さんと鈴木亮介さんに「志村さんが奥田民生さんに影響を受けてバンドマンになったように、今年10周年を迎えるフジファブリックの影響を受けて、新しくバンドが生まれたりメジャーデビューしたりしているのか。フジファブリックが音楽業界に与えた影響について、言える範囲で教えてほしい」という主旨のご質問がありました。
先に樋口さんからお答えをいただきました。
日々ブッキングを担当していて、若いミュージシャンと会うことが多いのですが、フジファブリック、志村君に影響を受けたという人たちはとても多いと思います。ロフト、私ということもあるのかもしれませんが、コミュニケーションの入り口として、「僕も、私もフジファブリックが好きで」と始まることが増えたなという印象があります。世代としては特に23~26才くらいの人たちが多いですね。例えば、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、KANA–BOON、特にボーカルの谷口君はフジファブリックが好きで、そこから一気に交流が始まったということがあります。他にもそのような人たちはいますね。
私達の世代にとってスピッツの草野正宗さんや奥田民生さんが好きで、憧れであったように、今の若い世代のバンドにとってフジファブリック、志村君は完全にそういう存在になっていると感じます。
次に鈴木さんからお話しをいただきました。
大きな流れで言うと、今、音楽業界が下火だとかCDが売れないとかいうこととも関連していると思いますが、商業的にはフェスというのがとても大きな機軸になっているんですね。そうなるとアゲアゲ、ノリノリの曲ばかりやっているようなバンドが支持されて、それが一つの正解という風潮があります。だから音楽を目指す人たちも、ちょっと検索して、こういう風にすれば売れるんだということになって、ワンパターンでバリエーションがなくなっている。そういうところでは、フジファブリックを目指しているとか影響を受けているというのはちょっとずれている感じがあります。
一方で、今、ライブハウスがとても面白いんです。今はセルフプロデュースができてしまうので、自分たちで音源をインターネット上に公開したりして、メジャーで売れることだけが音楽的な成功ではないと思う人たちも出てきている。何百万人に支持されるというわけではないけれど、一定のファンがいて、ライブをすればライブハウスがいっぱいになるというようなバンドが増えてきていると思います。その中にはほんとうにいろいろなバリエーションがあります。そういうところでは、キーボードが入ったり疾走感があったりというフジファブリックを、真似するというのではないのですが、目指している人たちは増えてきているのかなと感じます。
樋口さんと鈴木さんのご発言から、フジファブリックが若い世代にとって「憧れ」の存在であり、「目指す」べきバンドでもあることが伝わってきました。
先に樋口さんからお答えをいただきました。
日々ブッキングを担当していて、若いミュージシャンと会うことが多いのですが、フジファブリック、志村君に影響を受けたという人たちはとても多いと思います。ロフト、私ということもあるのかもしれませんが、コミュニケーションの入り口として、「僕も、私もフジファブリックが好きで」と始まることが増えたなという印象があります。世代としては特に23~26才くらいの人たちが多いですね。例えば、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、KANA–BOON、特にボーカルの谷口君はフジファブリックが好きで、そこから一気に交流が始まったということがあります。他にもそのような人たちはいますね。
私達の世代にとってスピッツの草野正宗さんや奥田民生さんが好きで、憧れであったように、今の若い世代のバンドにとってフジファブリック、志村君は完全にそういう存在になっていると感じます。
次に鈴木さんからお話しをいただきました。
大きな流れで言うと、今、音楽業界が下火だとかCDが売れないとかいうこととも関連していると思いますが、商業的にはフェスというのがとても大きな機軸になっているんですね。そうなるとアゲアゲ、ノリノリの曲ばかりやっているようなバンドが支持されて、それが一つの正解という風潮があります。だから音楽を目指す人たちも、ちょっと検索して、こういう風にすれば売れるんだということになって、ワンパターンでバリエーションがなくなっている。そういうところでは、フジファブリックを目指しているとか影響を受けているというのはちょっとずれている感じがあります。
一方で、今、ライブハウスがとても面白いんです。今はセルフプロデュースができてしまうので、自分たちで音源をインターネット上に公開したりして、メジャーで売れることだけが音楽的な成功ではないと思う人たちも出てきている。何百万人に支持されるというわけではないけれど、一定のファンがいて、ライブをすればライブハウスがいっぱいになるというようなバンドが増えてきていると思います。その中にはほんとうにいろいろなバリエーションがあります。そういうところでは、キーボードが入ったり疾走感があったりというフジファブリックを、真似するというのではないのですが、目指している人たちは増えてきているのかなと感じます。
樋口さんと鈴木さんのご発言から、フジファブリックが若い世代にとって「憧れ」の存在であり、「目指す」べきバンドでもあることが伝わってきました。
2015年1月31日土曜日
フォーラム参加者のご発言 4 [フォーラムをふりかえって 10]
好きな志村正彦さんの曲の話を終えてから、再び自由にご発言いただきました。
先ほど「星降る夜になったら」が好きと答えてくださった方があらためてお話ししてくださいました。
今日は発言するつもりはなかったのですが、先ほど思いがけずお話しすることになったので、思い切ってもう少しお話しさせていただきます。
私は東京で小学校の教員をしています。実は志村さんを知ったのは志村さんが亡くなった時でした。もともとは奥田民生さんが好きで、2009年にユニコーンが復活して、その頃ずっと聴いていました。志村さんの訃報に接した時、奥田民生さんに影響を受けたと書いてあって、興味を持って、初めて「銀河」を聴いた時にものすごい衝撃を受けました。こんなすごい曲を作った人が亡くなってしまったんだと思ったら、それまで関わりがなかったのに自分でもおかしいと感じながらも、大きな喪失感がありました。今日は昔からのファンの方とか地元の方とかそういう方ばかりかなと思っていましたが、先ほどからお話しをうかがっているといろいろな方がいらっしゃるとわかって安心しました。
私は志村さんの曲はほんとうに素晴らしいと思っているので、何気なく伝えたいと思い、実は去年の運動会でリレーの時に「Sugar!!」を流したり、行進のはじめの時に「星降る夜になったら」をかけたりしました。そのことに特に反応はなかったんですが、練習の時、けがで出られない男の子が出だしのところで急に踊り出しました。純粋無垢な子供たちに伝わるのだから、これは本当にすごいのだなと思いました。これからもみなさんに教えていただきながら、自分なりに地道に普及活動をしていきたいと思います。
「地道に普及活動」というところで、少し笑いが起きました。会場の皆さんに中にも志村さんの曲をもっと多くの人に聴いてほしいと「普及活動」をなさっている方がたくさんいらっしゃったのかもしれません。
次にお話ししてくださったのは若い男性の方でした。
皆さん、ちょっと冷静になって考えてもらいたいんですけど、「U.F.Oの軌道に沿ってあなたと逃避行」ってどういう事ですか?こんなふうに、すべての曲と言っていいほど、志村さんが書く歌詞はわけがわからなくて、だからこそ僕たちは「これはどういう事だろう」と考えさせられます。
さっき展示を見させてもらったんですけど、その中に「歌詞の中の自分に現実の自分を合わせていっている」ということばがあって、なるほどと思ったんです。歌詞の中の自分を別の現実の自分の視点から書いているって、曲に対するストイックさがすごいなって思いました。
僕は音楽をやっていて、作詞作曲もやっていますが、今の曲って、こんな事を言っては何ですが、アイドルの曲などを聴いているとどれも同じに聞こえてしまいます。その点、フジファブリックの曲は、志村さんの曲も今のフジファブリックの曲もそうですが、特別な、絶対聴いたことのないメロディーや歌詞で、僕の心に沁みるというか、直接入ってきます。僕もそんな歌詞を考えていきたいと思って、今日は展示や皆さんのお話から、そのヒントをいろいろ学ぶことができました。ありがとうございました。
冒頭の質問には会場から大きな笑いがおきました。自分で作詞作曲をなさる方からの曲作りという視点でのお話が興味深いものでした。
先ほど「星降る夜になったら」が好きと答えてくださった方があらためてお話ししてくださいました。
今日は発言するつもりはなかったのですが、先ほど思いがけずお話しすることになったので、思い切ってもう少しお話しさせていただきます。
私は東京で小学校の教員をしています。実は志村さんを知ったのは志村さんが亡くなった時でした。もともとは奥田民生さんが好きで、2009年にユニコーンが復活して、その頃ずっと聴いていました。志村さんの訃報に接した時、奥田民生さんに影響を受けたと書いてあって、興味を持って、初めて「銀河」を聴いた時にものすごい衝撃を受けました。こんなすごい曲を作った人が亡くなってしまったんだと思ったら、それまで関わりがなかったのに自分でもおかしいと感じながらも、大きな喪失感がありました。今日は昔からのファンの方とか地元の方とかそういう方ばかりかなと思っていましたが、先ほどからお話しをうかがっているといろいろな方がいらっしゃるとわかって安心しました。
私は志村さんの曲はほんとうに素晴らしいと思っているので、何気なく伝えたいと思い、実は去年の運動会でリレーの時に「Sugar!!」を流したり、行進のはじめの時に「星降る夜になったら」をかけたりしました。そのことに特に反応はなかったんですが、練習の時、けがで出られない男の子が出だしのところで急に踊り出しました。純粋無垢な子供たちに伝わるのだから、これは本当にすごいのだなと思いました。これからもみなさんに教えていただきながら、自分なりに地道に普及活動をしていきたいと思います。
「地道に普及活動」というところで、少し笑いが起きました。会場の皆さんに中にも志村さんの曲をもっと多くの人に聴いてほしいと「普及活動」をなさっている方がたくさんいらっしゃったのかもしれません。
次にお話ししてくださったのは若い男性の方でした。
皆さん、ちょっと冷静になって考えてもらいたいんですけど、「U.F.Oの軌道に沿ってあなたと逃避行」ってどういう事ですか?こんなふうに、すべての曲と言っていいほど、志村さんが書く歌詞はわけがわからなくて、だからこそ僕たちは「これはどういう事だろう」と考えさせられます。
さっき展示を見させてもらったんですけど、その中に「歌詞の中の自分に現実の自分を合わせていっている」ということばがあって、なるほどと思ったんです。歌詞の中の自分を別の現実の自分の視点から書いているって、曲に対するストイックさがすごいなって思いました。
僕は音楽をやっていて、作詞作曲もやっていますが、今の曲って、こんな事を言っては何ですが、アイドルの曲などを聴いているとどれも同じに聞こえてしまいます。その点、フジファブリックの曲は、志村さんの曲も今のフジファブリックの曲もそうですが、特別な、絶対聴いたことのないメロディーや歌詞で、僕の心に沁みるというか、直接入ってきます。僕もそんな歌詞を考えていきたいと思って、今日は展示や皆さんのお話から、そのヒントをいろいろ学ぶことができました。ありがとうございました。
冒頭の質問には会場から大きな笑いがおきました。自分で作詞作曲をなさる方からの曲作りという視点でのお話が興味深いものでした。
2015年1月22日木曜日
フォーラム参加者のご発言 3 [フォーラムをふりかえって 9]
参加者のご発言がいったん途切れたところで、皆様に「志村さんの楽曲で一番好きなのは?」というファンには難しい質問をしてみました。
「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」「茜色の夕日」「若者のすべて」「虹」などシングルとなった代表曲を中心に曲名をあげて手をあげていただきました。それぞれたくさんの手があがりました。
最後に、今まであげた中に「私の一番は入っていないという方」に挙手をしていただくと、数名いらっしゃいました。 その中のお一人に「では、何が一番お好きですか」という質問をしたところ、突然の質問に驚かれながらも、お話ししてくださいました。
私は悩んでいたんですけど、「星降る夜になったら」がすごく好きです。というのは、志村さんが前向きに、前に進もうと思っているように感じるからです。出だしの躍動感あふれるようなリズムとか、私自身も前向きになれるような気がします。
月曜日に仕事に行きたくないなと思うような時でも、朝からあの曲を聴いていると「よしこのリズムで駅まで歩いていこう」という気になれます。
もう一人、同じ質問に手をあげてお答えくださいました。
私は「セレナーデ」を選びました。「明日は君にとって 幸せでありますように そしてそれをぼ僕に 分けてくれ」というところがとても好きで、一番好きな曲です。
思いがけずという形になったかもしれませんが、お話していただいてありがとうございました。
今回はお二人でしたが、皆様お一人お一人に大切な一曲があり、その理由や好きになった物語があるのだろうと感じることができました。
「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」「茜色の夕日」「若者のすべて」「虹」などシングルとなった代表曲を中心に曲名をあげて手をあげていただきました。それぞれたくさんの手があがりました。
最後に、今まであげた中に「私の一番は入っていないという方」に挙手をしていただくと、数名いらっしゃいました。 その中のお一人に「では、何が一番お好きですか」という質問をしたところ、突然の質問に驚かれながらも、お話ししてくださいました。
私は悩んでいたんですけど、「星降る夜になったら」がすごく好きです。というのは、志村さんが前向きに、前に進もうと思っているように感じるからです。出だしの躍動感あふれるようなリズムとか、私自身も前向きになれるような気がします。
月曜日に仕事に行きたくないなと思うような時でも、朝からあの曲を聴いていると「よしこのリズムで駅まで歩いていこう」という気になれます。
もう一人、同じ質問に手をあげてお答えくださいました。
私は「セレナーデ」を選びました。「明日は君にとって 幸せでありますように そしてそれをぼ僕に 分けてくれ」というところがとても好きで、一番好きな曲です。
思いがけずという形になったかもしれませんが、お話していただいてありがとうございました。
今回はお二人でしたが、皆様お一人お一人に大切な一曲があり、その理由や好きになった物語があるのだろうと感じることができました。
2014年12月28日日曜日
フォーラム参加者のご発言 2 [フォーラムをふりかえって 8]
次に会場の男性から、「志村正彦 表現の特徴と世界観」を発表していただいた前嶋愛子さんに、一番好きな曲は何ですかというご質問がありました。
前嶋さんからは次のようなお答えがありました。
どれも好きな曲ばかりですが、一曲といえば、「赤黄色の金木犀」です。
日々人の生き死に関わる仕事をしています。志村君は命のはかなさとということをよくわかっていた人ではないかと感じます。だから発表でも申し上げましたが、なくなってしまったものへの気持ちを歌詞の中で語るのではないかと思っています。この曲ではそれを金木犀の香りに託すんですよね。嗅覚は人の五感の中でとても強いもので、感覚として残るといわれています。金木犀は季節も限られますし、たくさんあるものでもないと思いますが、その一瞬を香りに託して歌っている。はかないものへの気持ちを知っている人だなあと、心をいつも揺り動かされます。
私にとっては命のはかなさを感じることが日常であり、日常にしなければやっていけないというところがありますが、時々ふと感情的になったりすることもあるので、そういう時は必ず志村君の曲を聴きたくなります。
次にお話ししてくださったのは、大阪からいらっしゃった女性の方でした。
フジファブリックはメジャーデビューの前の2003年くらいから聞いています。
先日、あるライブであるバンドのボーカルの方がソロで「若者のすべて」をカヴァーしていました。 ライブの後そのボーカルの方は、フジファブリックをあまり知らなくて、この一曲くらいしか知らないと話していたのを耳にしました。
今日の展示で、志村君が歌詞を書き直して完成させたのを見ましたが、伝わっているんだなあと思いました。これからも多くの歌い手の方に志村君の歌を歌っていってほしいと、今日ここに来て強く思いました。
志村さんの歌が歌い継がれていくことはご来場のみなさんの願いでもあるようで、大きな拍手が起こりました。
前嶋さんからは次のようなお答えがありました。
どれも好きな曲ばかりですが、一曲といえば、「赤黄色の金木犀」です。
日々人の生き死に関わる仕事をしています。志村君は命のはかなさとということをよくわかっていた人ではないかと感じます。だから発表でも申し上げましたが、なくなってしまったものへの気持ちを歌詞の中で語るのではないかと思っています。この曲ではそれを金木犀の香りに託すんですよね。嗅覚は人の五感の中でとても強いもので、感覚として残るといわれています。金木犀は季節も限られますし、たくさんあるものでもないと思いますが、その一瞬を香りに託して歌っている。はかないものへの気持ちを知っている人だなあと、心をいつも揺り動かされます。
私にとっては命のはかなさを感じることが日常であり、日常にしなければやっていけないというところがありますが、時々ふと感情的になったりすることもあるので、そういう時は必ず志村君の曲を聴きたくなります。
次にお話ししてくださったのは、大阪からいらっしゃった女性の方でした。
フジファブリックはメジャーデビューの前の2003年くらいから聞いています。
先日、あるライブであるバンドのボーカルの方がソロで「若者のすべて」をカヴァーしていました。 ライブの後そのボーカルの方は、フジファブリックをあまり知らなくて、この一曲くらいしか知らないと話していたのを耳にしました。
今日の展示で、志村君が歌詞を書き直して完成させたのを見ましたが、伝わっているんだなあと思いました。これからも多くの歌い手の方に志村君の歌を歌っていってほしいと、今日ここに来て強く思いました。
志村さんの歌が歌い継がれていくことはご来場のみなさんの願いでもあるようで、大きな拍手が起こりました。
2014年12月20日土曜日
フォーラム参加者のご発言 1 [フォーラムをふりかえって 7]
四人の発表者にお話ししていただいた後、「志村正彦フォーラム」にご参加いただいた方の中から挙手をしていただいて、お話しをしていただきました。今回から、お話の要約を御報告したいと思います。
最初に手をあげてくださったのは富士吉田出身の女性の方でした。
大学進学を機に地元を離れましたが、自分にとっては山梨、地元の風景が好きにはなれませんでした。2008年の富士吉田ライブで、志村さんとフジファブリックに出会い、聴いているうちに山梨っていいなあと思えるようになりました。それからフジファブリックに何回も救われてきました。
これからも応援していきたいし、志村さんのことばは残っていくと思います。自分自身もネガティブなことばをつかわないでいこうという気持ちになりました。
とても真摯にお話ししていただいたのが印象的でした。
次に同じく富士吉田の男子高校生がお話ししてくださいました。
志村さんの音楽や詩は本当にすばらしい。富士吉田はロクでもないと言うと何だが、田舎で、東京が近いから憧れが強くて、山に囲まれていて閉塞感があって、峠を越えた甲府に対する意識もあって複雑です。志村さんもきっとそういうものを抱えていたと思います。
中学生のとき先生から地元にこんな素晴らしい人がいると志村さんの話を聞きました。でもその時は2010年で志村さんは亡くなっていて、残念だがライブに行くことはできませんでした。志村さんのおかげで富士吉田を誇れるようになったし、いつか地元を離れる時が来ても、いつまでも忘れないでいたいです。
ユーモアをまじえて話していただいて、会場からは笑いが起こりました。
続いて高知出身の男子大学生がご自分の進む道を決めるきっかけとなった、志村さんとの出会いを話してくださいました。
進路に迷って、勉強もしないで、将来を楽観的に甘く考えていました。でも、なんとなく普通のサラリーマンになるのはいやだなあと思っていました、中学三年の時、「桜の季節」のPVを見て衝撃を受けました。自分もプロモーションビデオを作りたくなり、東京の美術大学の映像学科に進学しました。
志村さんに、またPVを作ったスミスさんに出会えていなければ、今の道に進むことはなかったのでとても感謝しています。これからも音楽を聴いて一生ファンでいつづけようと思います。
志村正彦さん、フジファブリックの音楽との出会いが、故郷を新たに見いだしたり、自らの道を見つけたりするきっかけとなったとの話が続きました。
最初に手をあげてくださったのは富士吉田出身の女性の方でした。
大学進学を機に地元を離れましたが、自分にとっては山梨、地元の風景が好きにはなれませんでした。2008年の富士吉田ライブで、志村さんとフジファブリックに出会い、聴いているうちに山梨っていいなあと思えるようになりました。それからフジファブリックに何回も救われてきました。
これからも応援していきたいし、志村さんのことばは残っていくと思います。自分自身もネガティブなことばをつかわないでいこうという気持ちになりました。
とても真摯にお話ししていただいたのが印象的でした。
次に同じく富士吉田の男子高校生がお話ししてくださいました。
志村さんの音楽や詩は本当にすばらしい。富士吉田はロクでもないと言うと何だが、田舎で、東京が近いから憧れが強くて、山に囲まれていて閉塞感があって、峠を越えた甲府に対する意識もあって複雑です。志村さんもきっとそういうものを抱えていたと思います。
中学生のとき先生から地元にこんな素晴らしい人がいると志村さんの話を聞きました。でもその時は2010年で志村さんは亡くなっていて、残念だがライブに行くことはできませんでした。志村さんのおかげで富士吉田を誇れるようになったし、いつか地元を離れる時が来ても、いつまでも忘れないでいたいです。
ユーモアをまじえて話していただいて、会場からは笑いが起こりました。
続いて高知出身の男子大学生がご自分の進む道を決めるきっかけとなった、志村さんとの出会いを話してくださいました。
進路に迷って、勉強もしないで、将来を楽観的に甘く考えていました。でも、なんとなく普通のサラリーマンになるのはいやだなあと思っていました、中学三年の時、「桜の季節」のPVを見て衝撃を受けました。自分もプロモーションビデオを作りたくなり、東京の美術大学の映像学科に進学しました。
志村さんに、またPVを作ったスミスさんに出会えていなければ、今の道に進むことはなかったのでとても感謝しています。これからも音楽を聴いて一生ファンでいつづけようと思います。
志村正彦さん、フジファブリックの音楽との出会いが、故郷を新たに見いだしたり、自らの道を見つけたりするきっかけとなったとの話が続きました。
2014年11月18日火曜日
鈴木亮介さんの発表「志村正彦-軽音部・賢治・青春-」[フォーラムをふりかえって 6]
続いて「WebロックマガジンBEEAST」副編集長の鈴木亮介さんにお話をしていただきました。鈴木さんは直接フジファブリックの取材をなさったことはないとのことでしたが、最近の高校生のバンド活動への志村さんの影響を始めとして、多様な観点からお話ししてくださいました。
高校生、10代のみなさんのバンド活動について取材していると、今は軽音部が大変隆盛だと感じます。中には100人を超えるような部もある。昔は軽音部というと不良の溜まり場といったイメージが強かったと思いますが、今はそんなことはありません。
顧問の先生も名ばかりではなく実際に技術を教えられる方がたくさんいますし、機材や練習場所やバンドをやっているといろいろお金がかかりますが、学校の部活ならそれが無料で使えます。そんなわけで楽器をやるという間口はとても広くなっていて、一年生の時はひたすら基礎練習、目標は大会で優勝することというまるで体育会系のような状況も生まれています。
そんな中でフジファブリックは人気のバンドの一つです。でもみんながキャアキャア騒いでいる感じではなくて、ミーハーより本格志向、軽音部の中では割と地味で、技術があるそんなバンドがコピーをしていることが多いように見えます。
さて、バンドをやりたい若者にとって、かつてないほど間口が広がって、恵まれた状況なわけですが、だからといって、よい音楽が生まれ、ロックスターが出てくるかというと、逆なわけです。志村さんが軽音部で、部活の仲間と練習しているっていうのはちょっと想像できないですよね。物があったり教える先生がいたり気軽に始められたりという豊かな環境があればいいというわけでもなくて、制限された中でいろいろなハードルがあったりするほうがむしろ素晴らしい音楽が生まれてくるような気がします。
ここからはほんとうにファンとしての思いになってしまいますけれども、志村さんの音楽に対する原動力とはいったいなんだろうと思います。今日展示を見ていて、宮沢賢治とリンクするような気がしました。宮沢賢治も37歳の若さで亡くなって、賢治の方がもっと不遇な状況で、生前に一冊しか本が出せなくて死んでから評価されたですけれども。賢治も一つのセンテンス、ワンフレーズ、一つのことばを何度も何度も消したり書き直したりした跡が原稿に残っているんですね。そのへん志村さんの詩の作り方と通ずるとことがあると思いました。
志村さんがこの時代にここまで徹底して一つ一つのことばにストイックに向かい合ったというのは稀有なことかなと思います。結局その原動力とは何かはよくわからないんですが、それは簡単にわかるようなことではなくて、何か内側から湧き上がってくるもの、天から与えられた才能なのかなと思ったりもしました。
中国に五行説というのがありまして、「青春」というのはみなさんよくご存じだと思いますが、実は人生を4つの季節になぞらえたもので、自我が確立する16歳くらいから30歳までを「青春」、30~40歳を「朱夏」、40~50歳を「白秋」、50歳以降を「玄冬」と言います。 五行の五番目は土に還る、つまり死を意味します。
そんなライフステージを考えると、志村さんは「青春」の間を生き抜いて残念ながら人生を終えてしまったわけですが、もし今生きて次のステージに入っていたらどんな歌を作っていただろうと思うと、想像するだけで楽しみな気がします。
人が死んだあとに何が残るかというと、亡くなって数十年は関係した人達の記憶に残るかもしれませんが、徐々に忘れられていって、そのあとに残るのはことばだと思います。ことばというのは、もう少し広く解釈して絵画とか、彫刻とか、写真とか、音楽とかも含めていいかもしれません。松尾芭蕉は人は儚く、永遠と思われる山河のような自然も姿を変える。残るものはことばであると言っています。
そういう意味で、今回志村さんのことば、詩の世界に着目したこのイベントはとても良い場だったと思います。
鈴木さんの御発表は、高校生の軽音部の活動への言及、志村さんと宮沢賢治の詩の作り方の類似性の指摘、中国の五行説による考察など、ジャーナリストらしい目配りのきいた、とても充実したものでした。
2014年11月3日月曜日
前嶋愛子さんの発表「志村正彦 表現の特徴と世界観」[フォーラムをふりかえって 5]
倉辺さんに続いて、前嶋愛子さんの発表がありました。
前嶋さんは志村さんの詩の「表現の特徴と世界観」をテーマに丁寧な読解をもとに発表して下さいました。記録映像から文字に起こしたものを以下掲載します。
志村君の詩は、日本語、英語にしてもカタカナ表記です。その中で志村君は語感をとても大切にしていると感じられます。例えば擬音語、擬態語などオノマトペの多用ということがあります。藤井フミヤさんに提供した「どんどこ男」はタイトルからしてそうですし、有名な「銀河」の「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」などたくさんあります。語感という点ではもう一つにはリフレインが多い、単にサビの部分を繰り返すだけではなく、印象的なフレーズが多いと思います。
また歌詞の中にどことなく昭和の風景が見えてくるというのも特徴だと思います。富士吉田を訪れたことがある方ならおわかりだと思いますが、まさに歌詞の風景がそこにあります。私も志村君と同世代ということもあって、路地裏とか、駄菓子屋とか、スポーツだったらサッカーより野球といった昭和の風景が投影されているところに懐かしさを感じますし、生まれ育った場所は違いますが、共感できます。
ここからは私が今回お伝えしたいことに入るのですが、使われている人称を見てみると、一人称の場合は「僕」、一部「俺」という場合もありますが、ほとんど「僕」で、二人称は「君」または「あなた」となります。基本的に「僕と君」もしくは「あなた」の物語という中で語られる世界です。志村君はロックスターなので、女の子にとっては憧れ、恋の対象になってしまいがちです。だから、聴いたり読んだりしていて、「君」とか「あなた」つまり女の子との関係性が気になります。
では、志村作品の女の子たちはどう描かれているかというと、歌詞と言うよりも映像、特にスミスさんが撮った初期のミュージックビデオの影響で制服の美少女、女子高生、そんなイメージが強いのではないでしょうか。
志村君自身の妄想癖というと語弊があるかもしれませんが、妄想が爆発する歌詞が結構あります。例えば、初期の作品「花屋の娘」は「暇つぶしに」花屋の娘に恋をするというところから始まって全編妄想でできたような詩ですが、では、妄想で何をしているかというと公園に行って、かくれんぼするというように随分かわいらしい。妄想といってもそんな類のものです。
また、パーツに対するこだわりのようなものも見受けられます。例えば、髪の毛に対して、「赤くなった君の髪が僕をちょっと孤独にさせた」(「午前3時」)や「君が髪型を変えたことが気がかりです」(「記念写真」)などは、髪のせいで孤独になったり気がかりであったりするんですが、それを相手に聞けずに悶々としている様子がうかがえます。また、口、声にもこだわりがあって、これは志村君がヴォーカリストだということも関係しているのかもしれませんが、「唇のソレ」の口元のほくろや「マリアとアマゾネス」の声などパーツに言及しているものが多いです。
こうしてみていくと、「君」を女の子と想定していたのが、そもそもそれでいいのかと気になってきます。だいたい「愛している」とか「好きだよ」ということばは一切出てきません。唯一「水飴と綿飴」の中に「love you」と出てくるんですが、すぐあとに「嘘だよ」と切り返していて、ひねってあるというか、単純なラブソングの枠組みでは志村作品の「僕」と「君」との関係性は読めないようになっています。
そうした表現上の特徴から一歩踏み込んで「君」と「僕」との物語を考えてみると、特に初期の曲の歌詞には、すでに去ってしまった相手への思いを綴ったり、回想したりしているものが多いと思います。その表現がとても巧みで、「儚く色褪せてゆく」花に過去の君を投影したり(「花」)、実際思い返してみると「感傷的にはなりきれない」自分に気付いたり(「赤黄色の金木犀」)というふうに表現されています。過ぎ去ったものへの思いで、立ち止まる僕というものが描かれているところが非常に印象的です。
「陽炎」の歌詞の中では「君」ではなくて「あの人」という三人称に変わっています。一見相手との距離が遠くなっているように見えますが、通り雨が降ってやむまでのほんの短い時間の中で「あの人」のことを思ってしまう、そういう深い関わりのある相手であることを私達に想像させてくれます。
「走る」「逃げる」「追いかける」などのことばが多いことはさきほどの発表にもありましたが、「二人で」とか「あなたと」「逃げる」というような表現があります。ここでは「銀河」と「サボテンレコード」を例に挙げましたが、「あなたと」逃げるとか「あなたを」連れて行くとかというのは、何から逃げるかわからないんですけれども、とても強い気持ちを表していると思うんですね。「愛している」というようなことばではなくて行動で表すというか。
今挙げた二曲は初期の曲ですが、中期以降の曲で同じようなシチュエーションを探してみると、一緒に逃げるのではなく、自分が相手のところへ行くというふうに少し変わってきています。「銀河」や「サボテンレコード」は「向かおう」「連れて行こう」と言いますが、いずれも未然形で、ほんとうに二人で逃げたかどうかはわかりません。
それが「星降る夜になったら」では「迎えに行く」と言いながら「迎えに行くとするよ」となって、まだ実際に行ったかはわかりませんが、「Suger!」 になると「君に届けに行くから待ってて」と相手に投げかけていて、意思表示をして自ら動こうとしている「僕」の姿が想像できます。このあたりは時間を追っての変化だと思います。
今日の展示パネルにも、「二人」から「僕ら」への人称の変化が起こっていて、それが「Teenager」以降だという考察がありまして、その通りだと思ったんです。過去への追慕だったり内省的だったりというのが、一般的な志村君の詩の解釈なのかもしれませんが、近年の作品には動こうとする「君」と「僕」、「僕ら」という関係が描かれていて、それがどうなっていくのか見たかったなあと思います。
志村さんの詩はいろいろな読み方、聴き方ができ、解釈の自由度があります。そこに書き手の器量の大きさを感じさせます。私はそんな志村君の歌が大好きでこれからも聴き続けたいと思います。みなさまにもそうあってほしいと願って発表させていただきました。
前嶋さんのご発表は、作品の具体的な言葉に即して、しかも、様々な作品を通して、志村正彦の詩的世界を丁寧に分かりやすく分析したものでした。特に、人称代名詞から読みとれる関係のあり方について深く考察されていて、とても興味深いものでした。
前嶋さんは志村さんの詩の「表現の特徴と世界観」をテーマに丁寧な読解をもとに発表して下さいました。記録映像から文字に起こしたものを以下掲載します。
志村君の詩は、日本語、英語にしてもカタカナ表記です。その中で志村君は語感をとても大切にしていると感じられます。例えば擬音語、擬態語などオノマトペの多用ということがあります。藤井フミヤさんに提供した「どんどこ男」はタイトルからしてそうですし、有名な「銀河」の「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」などたくさんあります。語感という点ではもう一つにはリフレインが多い、単にサビの部分を繰り返すだけではなく、印象的なフレーズが多いと思います。
また歌詞の中にどことなく昭和の風景が見えてくるというのも特徴だと思います。富士吉田を訪れたことがある方ならおわかりだと思いますが、まさに歌詞の風景がそこにあります。私も志村君と同世代ということもあって、路地裏とか、駄菓子屋とか、スポーツだったらサッカーより野球といった昭和の風景が投影されているところに懐かしさを感じますし、生まれ育った場所は違いますが、共感できます。
ここからは私が今回お伝えしたいことに入るのですが、使われている人称を見てみると、一人称の場合は「僕」、一部「俺」という場合もありますが、ほとんど「僕」で、二人称は「君」または「あなた」となります。基本的に「僕と君」もしくは「あなた」の物語という中で語られる世界です。志村君はロックスターなので、女の子にとっては憧れ、恋の対象になってしまいがちです。だから、聴いたり読んだりしていて、「君」とか「あなた」つまり女の子との関係性が気になります。
では、志村作品の女の子たちはどう描かれているかというと、歌詞と言うよりも映像、特にスミスさんが撮った初期のミュージックビデオの影響で制服の美少女、女子高生、そんなイメージが強いのではないでしょうか。
志村君自身の妄想癖というと語弊があるかもしれませんが、妄想が爆発する歌詞が結構あります。例えば、初期の作品「花屋の娘」は「暇つぶしに」花屋の娘に恋をするというところから始まって全編妄想でできたような詩ですが、では、妄想で何をしているかというと公園に行って、かくれんぼするというように随分かわいらしい。妄想といってもそんな類のものです。
また、パーツに対するこだわりのようなものも見受けられます。例えば、髪の毛に対して、「赤くなった君の髪が僕をちょっと孤独にさせた」(「午前3時」)や「君が髪型を変えたことが気がかりです」(「記念写真」)などは、髪のせいで孤独になったり気がかりであったりするんですが、それを相手に聞けずに悶々としている様子がうかがえます。また、口、声にもこだわりがあって、これは志村君がヴォーカリストだということも関係しているのかもしれませんが、「唇のソレ」の口元のほくろや「マリアとアマゾネス」の声などパーツに言及しているものが多いです。
こうしてみていくと、「君」を女の子と想定していたのが、そもそもそれでいいのかと気になってきます。だいたい「愛している」とか「好きだよ」ということばは一切出てきません。唯一「水飴と綿飴」の中に「love you」と出てくるんですが、すぐあとに「嘘だよ」と切り返していて、ひねってあるというか、単純なラブソングの枠組みでは志村作品の「僕」と「君」との関係性は読めないようになっています。
そうした表現上の特徴から一歩踏み込んで「君」と「僕」との物語を考えてみると、特に初期の曲の歌詞には、すでに去ってしまった相手への思いを綴ったり、回想したりしているものが多いと思います。その表現がとても巧みで、「儚く色褪せてゆく」花に過去の君を投影したり(「花」)、実際思い返してみると「感傷的にはなりきれない」自分に気付いたり(「赤黄色の金木犀」)というふうに表現されています。過ぎ去ったものへの思いで、立ち止まる僕というものが描かれているところが非常に印象的です。
「陽炎」の歌詞の中では「君」ではなくて「あの人」という三人称に変わっています。一見相手との距離が遠くなっているように見えますが、通り雨が降ってやむまでのほんの短い時間の中で「あの人」のことを思ってしまう、そういう深い関わりのある相手であることを私達に想像させてくれます。
「走る」「逃げる」「追いかける」などのことばが多いことはさきほどの発表にもありましたが、「二人で」とか「あなたと」「逃げる」というような表現があります。ここでは「銀河」と「サボテンレコード」を例に挙げましたが、「あなたと」逃げるとか「あなたを」連れて行くとかというのは、何から逃げるかわからないんですけれども、とても強い気持ちを表していると思うんですね。「愛している」というようなことばではなくて行動で表すというか。
今挙げた二曲は初期の曲ですが、中期以降の曲で同じようなシチュエーションを探してみると、一緒に逃げるのではなく、自分が相手のところへ行くというふうに少し変わってきています。「銀河」や「サボテンレコード」は「向かおう」「連れて行こう」と言いますが、いずれも未然形で、ほんとうに二人で逃げたかどうかはわかりません。
それが「星降る夜になったら」では「迎えに行く」と言いながら「迎えに行くとするよ」となって、まだ実際に行ったかはわかりませんが、「Suger!」 になると「君に届けに行くから待ってて」と相手に投げかけていて、意思表示をして自ら動こうとしている「僕」の姿が想像できます。このあたりは時間を追っての変化だと思います。
今日の展示パネルにも、「二人」から「僕ら」への人称の変化が起こっていて、それが「Teenager」以降だという考察がありまして、その通りだと思ったんです。過去への追慕だったり内省的だったりというのが、一般的な志村君の詩の解釈なのかもしれませんが、近年の作品には動こうとする「君」と「僕」、「僕ら」という関係が描かれていて、それがどうなっていくのか見たかったなあと思います。
志村さんの詩はいろいろな読み方、聴き方ができ、解釈の自由度があります。そこに書き手の器量の大きさを感じさせます。私はそんな志村君の歌が大好きでこれからも聴き続けたいと思います。みなさまにもそうあってほしいと願って発表させていただきました。
前嶋さんのご発表は、作品の具体的な言葉に即して、しかも、様々な作品を通して、志村正彦の詩的世界を丁寧に分かりやすく分析したものでした。特に、人称代名詞から読みとれる関係のあり方について深く考察されていて、とても興味深いものでした。
2014年10月20日月曜日
倉辺洋介さんの発表「志村正彦とLOST DECADES」[フォーラムをふりかえって 4]
新宿LOFTの樋口さんに続いて、倉辺洋介さんが、同世代のファンの立場から、パワーポイントで資料をスクリーンに映しながら、「志村正彦とLOST DECADES」 と題する発表をしてくださいました。
ファーストアルバムの頃にファンになり、志村さんの曲に励まされてきたという倉辺さんのお話は、志村さんと同じ時代を生きた世代の視点から、時代と歌詞との関係を考察するものでした。発表の要旨は次の通りです。
志村君はバブル崩壊後に少年期を過ごし、高校卒業後上京した頃には音楽シーンは縮小する傾向にあり、メジャーデビューの頃には景気は少し持ち直したものの、決して右肩上がりではない、明日が今日よりいいとは限らない時代を生きてきました。そんな中、不安を抱き、ある種割り切った感覚を持ちながらも、悟ってしまっているのでもあきらめきっているのではなく、もがいている。そういう世代で共有する感覚があるという仮説のもとに志村君の歌詞を見ていこうというのがこの発表の試みです。
今日も上映された富士五湖文化センターでのライブでも、普通の大人になりたくなかったから始めた音楽活動なのに、不安視している自分がいるということを志村君自身が述べていますが、やはり志村君自身も時代の不安感、取り残されていくような焦燥感を抱えていたのだと思います。
今回は、このライブの後、リーマンョックがあり、「派遣村」などということばも聞かれた激動の時代に出されたアルバム「CHRONICLE」を中心に見ていきたいと思います。すると、「描いていた夢に近づけてるのかと日々悩むのであります」(「クロニクル」)、「なりたかった大人になれたのか悩む」(「タイムマシン」)など富士吉田凱旋ライブの夢を達成したにもかかわらずまだ悩んでいる志村君がいる。「明日になればきっと良くなるなんて希望持てれるものならばとっくに持ってるよ」(「Clock」)はまさに先程述べた明日が今日よりいいとは限らないという感覚ですし、「僕はなんで大事なところ間違えて膨大な問題ばかりを抱えて」(「ないものねだり」)などの自分を卑下してしまったりする歌詞が見られます。
しかし、一方で単純にあきらめているかというとそうではなくて、「折れちゃいそうな心だけど君からもらった心がある」(「ルーティーン」「CHRONICLE」とほぼ同時期に発表された)、「だいたいそうだ なるべくそうだ 後悔だけはしたくないのです」(「タイムマシーン」)、「何かを始めるのには何かを捨てなきゃな 割り切れないことばかりです 僕らは今を必死にもがいて」(「エイプリル」)などには、絶望しないでストイックに向き合う志村君の姿があると思います。
こう言うと、「CHRONICLE」は異質だからという指摘もありそうですが、このような目で見てみると、ほかのアルバムの楽曲にもそのような面は見られます。例えば、「ダンス2000」はあんなにノリのよいダンスミュージックなのにサビで「いや しかし なぜに」というような歌詞が登場したり、「桜の季節」では真正面から桜の花を歌うのではなくて「桜の季節過ぎたら」「桜が枯れた頃」となっていたりします。しかし「心に決めたよ」と決意を秘めて立っている。
また「悲しくたってさ 夏は簡単に終わらないのさ」(「線香花火」)のようにあきらめない。他の曲にも前向きに何かをつかみ取ろうと追いかける、走るなどのモチーフが多く見られます。「陽炎」も「きっと今ではなくなったものもたくさんあるだろう」という喪失感がありますが、「窓からそっと手を出して」からあとには一歩踏み出そうという前向きさが感じられます。
このように18歳で一人で上京し不安を抱き、下積みの苦労をしながらも、あきらめず、進もうとして紡いできた志村君の歌詞には、不安や焦燥を抱えながらもストイックに前向きにもがいているという特徴があり、だからこそ僕らは励まされたり背中を押されたり意志の強さ感じたりするのだと思います。そしてそれが今日のテーマである「ロックの詩人」志村正彦の魅力であると思います。
倉辺さんの発表は時代背景を丁寧に追って、志村さんの楽曲と時代を結びつける新しい視点を与えてくれました。同世代の聴き手ならではの実感がこもっていて説得力がありました。
ファーストアルバムの頃にファンになり、志村さんの曲に励まされてきたという倉辺さんのお話は、志村さんと同じ時代を生きた世代の視点から、時代と歌詞との関係を考察するものでした。発表の要旨は次の通りです。
志村君はバブル崩壊後に少年期を過ごし、高校卒業後上京した頃には音楽シーンは縮小する傾向にあり、メジャーデビューの頃には景気は少し持ち直したものの、決して右肩上がりではない、明日が今日よりいいとは限らない時代を生きてきました。そんな中、不安を抱き、ある種割り切った感覚を持ちながらも、悟ってしまっているのでもあきらめきっているのではなく、もがいている。そういう世代で共有する感覚があるという仮説のもとに志村君の歌詞を見ていこうというのがこの発表の試みです。
今日も上映された富士五湖文化センターでのライブでも、普通の大人になりたくなかったから始めた音楽活動なのに、不安視している自分がいるということを志村君自身が述べていますが、やはり志村君自身も時代の不安感、取り残されていくような焦燥感を抱えていたのだと思います。
今回は、このライブの後、リーマンョックがあり、「派遣村」などということばも聞かれた激動の時代に出されたアルバム「CHRONICLE」を中心に見ていきたいと思います。すると、「描いていた夢に近づけてるのかと日々悩むのであります」(「クロニクル」)、「なりたかった大人になれたのか悩む」(「タイムマシン」)など富士吉田凱旋ライブの夢を達成したにもかかわらずまだ悩んでいる志村君がいる。「明日になればきっと良くなるなんて希望持てれるものならばとっくに持ってるよ」(「Clock」)はまさに先程述べた明日が今日よりいいとは限らないという感覚ですし、「僕はなんで大事なところ間違えて膨大な問題ばかりを抱えて」(「ないものねだり」)などの自分を卑下してしまったりする歌詞が見られます。
しかし、一方で単純にあきらめているかというとそうではなくて、「折れちゃいそうな心だけど君からもらった心がある」(「ルーティーン」「CHRONICLE」とほぼ同時期に発表された)、「だいたいそうだ なるべくそうだ 後悔だけはしたくないのです」(「タイムマシーン」)、「何かを始めるのには何かを捨てなきゃな 割り切れないことばかりです 僕らは今を必死にもがいて」(「エイプリル」)などには、絶望しないでストイックに向き合う志村君の姿があると思います。
こう言うと、「CHRONICLE」は異質だからという指摘もありそうですが、このような目で見てみると、ほかのアルバムの楽曲にもそのような面は見られます。例えば、「ダンス2000」はあんなにノリのよいダンスミュージックなのにサビで「いや しかし なぜに」というような歌詞が登場したり、「桜の季節」では真正面から桜の花を歌うのではなくて「桜の季節過ぎたら」「桜が枯れた頃」となっていたりします。しかし「心に決めたよ」と決意を秘めて立っている。
また「悲しくたってさ 夏は簡単に終わらないのさ」(「線香花火」)のようにあきらめない。他の曲にも前向きに何かをつかみ取ろうと追いかける、走るなどのモチーフが多く見られます。「陽炎」も「きっと今ではなくなったものもたくさんあるだろう」という喪失感がありますが、「窓からそっと手を出して」からあとには一歩踏み出そうという前向きさが感じられます。
このように18歳で一人で上京し不安を抱き、下積みの苦労をしながらも、あきらめず、進もうとして紡いできた志村君の歌詞には、不安や焦燥を抱えながらもストイックに前向きにもがいているという特徴があり、だからこそ僕らは励まされたり背中を押されたり意志の強さ感じたりするのだと思います。そしてそれが今日のテーマである「ロックの詩人」志村正彦の魅力であると思います。
倉辺さんの発表は時代背景を丁寧に追って、志村さんの楽曲と時代を結びつける新しい視点を与えてくれました。同世代の聴き手ならではの実感がこもっていて説得力がありました。
2014年10月6日月曜日
新宿LOFT樋口寛子さんのお話 [フォーラムをふりかえって 3]
志村正彦さんとご親交のあった方々からのコメントの発表に引き続いて、志村さんをインディーズデビュー以前からよく知る新宿LOFTの樋口寛子さん、志村さんのファンという立場から倉辺洋介さん、前嶋愛子さん、ウェブロックマガジン「BEEAST」副編集長の鈴木亮介さんに、各々10分から15分ほどお話しをしていただきました。
樋口さんはロフトプロジェクトの担当者として、インディーズ時代の「アラカルト」「アラモード」の2枚のアルバムの制作に携わった方です。インディーズデビュー前後の志村さんについて、時に会場からの質問にも応じながら、次のようにお話してくださいました。
「線香花火」と「茜色の夕日」が入ったカセットテープを聴いて、とてもいい曲だなあと思ったのが出会いでした。最初にロフトにライブにやってきた時は、「若いのがやってきたな」という印象でした。
当時21歳の志村君はふだんは物静かでしたが、ステージにはうれしそうに立っていました。でも、照れなのか、歌もMCもまっすぐにお客さんを見ることができなくて、そのことはライブ終了後に話したことがありました。それが、メジャーデビューの頃には堂々と前を見て歌っていて成長を感じました。
ロフトレーベルからインディーズのアルバムを2枚出しました。1枚目の時からいきなり売れたわけではなかったのですが、ライブを重ねるたびにどんどんお客さんの数が増えていきました。 志村君の曲は聴けば聴くほど味がある、そんな魅力があるのだと思います。どんどん増えていくお客さんを見て、長くやってくれるバンドになると確信しました。
アルバムを作る時も志村君の歌詞やメロディーに対して何かを言ったことはありませんでした。「新しい曲ができました」と生まれてくるものをただ信頼して待っていました。
インディーズのアルバムにはあの当時にしか出せない空気感や初期衝動がパッケージされていて、今でもよく聴くし大好きです。あれを超えるものには出会えていないです。
樋口さんのお話からは、志村さんと樋口さんの間にある信頼感が伝わってきました。インディーズ時代のすばらしいアルバムもこの信頼感があってこそ可能になったのだろうとあらためて感じることができました。
樋口さんはロフトプロジェクトの担当者として、インディーズ時代の「アラカルト」「アラモード」の2枚のアルバムの制作に携わった方です。インディーズデビュー前後の志村さんについて、時に会場からの質問にも応じながら、次のようにお話してくださいました。
「線香花火」と「茜色の夕日」が入ったカセットテープを聴いて、とてもいい曲だなあと思ったのが出会いでした。最初にロフトにライブにやってきた時は、「若いのがやってきたな」という印象でした。
当時21歳の志村君はふだんは物静かでしたが、ステージにはうれしそうに立っていました。でも、照れなのか、歌もMCもまっすぐにお客さんを見ることができなくて、そのことはライブ終了後に話したことがありました。それが、メジャーデビューの頃には堂々と前を見て歌っていて成長を感じました。
ロフトレーベルからインディーズのアルバムを2枚出しました。1枚目の時からいきなり売れたわけではなかったのですが、ライブを重ねるたびにどんどんお客さんの数が増えていきました。 志村君の曲は聴けば聴くほど味がある、そんな魅力があるのだと思います。どんどん増えていくお客さんを見て、長くやってくれるバンドになると確信しました。
アルバムを作る時も志村君の歌詞やメロディーに対して何かを言ったことはありませんでした。「新しい曲ができました」と生まれてくるものをただ信頼して待っていました。
インディーズのアルバムにはあの当時にしか出せない空気感や初期衝動がパッケージされていて、今でもよく聴くし大好きです。あれを超えるものには出会えていないです。
樋口さんのお話からは、志村さんと樋口さんの間にある信頼感が伝わってきました。インディーズ時代のすばらしいアルバムもこの信頼感があってこそ可能になったのだろうとあらためて感じることができました。
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